生活一般, Uncategorized

モーリタニアでテニスをする

高校の時に始めたテニスが、趣味として定着してからここ10年ほどになる。それなりにプレーできるが、トーナメントに出て勝ったりというのはまた別の話しだ。上達するのにも時間がかかることがやっと分かってきた。

モーリタニアに到着してすぐに事前に調べていたスポーツクラブのテニスコートに行ってみた。コートのあちこちにひびが入っていて、砂ぼこりでコートも薄ぼけて見えて、とても使えるようには見えなかった。また、他にあるテニスコートはすべて各国大使館の敷地内で、館員でないと使用できないと聞いていたので、継続的にテニスをすることはもはや難しいと思った。

2018年当時の某スポーツクラブのコート

以前住んでいたバンコクでは、いたるところにテニスコートがあって、メンバー制のクラブもあればコート使用料のみで済むところ、さらにコンドミニアムの付帯設備として入居者向けにテニスコートがついてあるところもあり、テニスするには事欠かない状況だった。

しばらくして、ヌアクショットのフランス大使館のコートはテニスクラブのメンバーになれば大使館員以外でも利用できると聞いて、すぐさまメンバーになった。一人モーリタニア人のコーチ、アブ氏がいてメンバー専属だ。

去年テニスコートのリニューアル工事が行われたが、ひびが入って盛り上がった部分を削って表面を平らにしてセメントを埋め込み、その上にペンキを塗りなおすという応急措置だった。一年経過してコロナ禍であまり使用されなかったはずにも関わらず、すでに表面はぼこぼこになりつつある。

冒頭のスポーツクラブも同様のリニューアル工事があったらしく、最近知り合いができて、テニスをしに行くようになったが、バンドエイド的に穴埋めされた部分が見える。まあ以前よりは多少、明後日の方角に行くバウンドが少なくなったような気がする。

テニス用具が買えるようなスポーツショップはないので、国に帰ったときに大量にボールなどを買ってくる人もいる。私はコーチからちょっと割高で買うと彼の収入の一部なので、彼から買うようにしている。来た当初は継続をあきらめていたテニスが、こうして定期的にできるようになったのだから、これはこれでうれしいことだ。あとは上達目指して砂や暑さに負けず続けていくしかなさそうだ。

上の写真と同じコートの現状
Uncategorized

ニホンゴ・レッスン

2年ほど前から、子どもに日本語を教えている。コロナで1年ほど間が空いたので、正確には1年強になる。週に一度、6回ワン・クールというかなりゆったりペースだ。私は日本語教師の資格を持っているわけではないが、数年前から友人に勧められて、オンラインでの日本語レッスンをやっていた。始めたばかりの頃は市販の教科書を使っていたが、私自身の外国語習得の経験を踏まえて、だんだん自分で教材を作るようになった。特に子どもが学習者の場合は、彼らとおしゃべりしながら彼らの世界に入り込んで、彼らの知りたいことだったり、言えるようになりたいことだったり、好きなキャラクターについて話をしながら、それらを教材の中に入れていく。基本的には、生徒同士のダイアローグで、ロールプレイをしながら何度も同じ言葉や使いまわしを繰り返していく、というものだ。

モーリタニアに来て一年ほどたった頃、子どものクラスメートの家に行った。お母さんがエ―ルフランスのクルーで、時々日本にも行っていて、ペットの犬に「ナラ(奈良県から来る)」と名付けるくらい日本好きだ。実際台所も日本の食料品でいっぱい。そこにもう一人のフレンチ・スクールに通う女の子のお父さんがやってきた。私が日本人だと言ったら、「息子がアニメ大好きで、日本語習いたがっている」と言われた。さらにその週末には、ご主人のお父様が元駐日モーリタニア大使で、自分の子どもも日本大好きというフランス人女性に会い、「日本語教えないの?」と言われた。そこで先述のエールフランスのお母さんから、「日本語クラスやればいいじゃん!」と言われて、もうオンラインレッスンもやらなくなって何となく遠ざかっていたが、重い腰を上げるに至った。

モーリタニアは旧フランス領で、公用語ではないものの、一般的にフランス語が話されていて、メディアなどもフランスのものがそのまま流れている。フランスで、日本のアニメが大人気なのはよく知られているが、フランスに住んでいたころは、世代としてはティーン以上、という印象だった。つまり日本みたいにサザエさんやドラえもんで家族も一緒に見れてキャラクターも知っていて、という対象ではなく、若者のサブカルチャー的に切り取られた、趣味としてのアニメ、という感じだった。ところがモーリタニアに来た初めのころに、Institute Françaisの図書館に子どもを連れて遊びに行ったら、たくさん、それこそたくさんの仏訳された日本のマンガ本があり、小学生くらいの地元アフリカ系の子どもたちが楽しそうに読んでいた。一般的な物の流通状況から言って、モーリタニアは、ヨーロッパやマグレブ地域のお下がり物、半端ものややってくる傾向がある。ということはこれらのマンガ本はいろんなところで読まれてやってきたと推測する。フランスで持っていた、アニメは若者サブカルチャーとして存在するという印象は、私が知らなかっただけかもしれない、と思いはじめた。そしてこの日本語レッスンを始めてかなりフランスの子供たちの間にも日本のアニメは浸透していることが分かってきた。

レッスンを始めた頃に13歳の中学生だったエリオットは、「僕のヒーローアカデミア」が大好きで、将来アニメにかかわる仕事がしたいと言っている。9歳だったイザエは両親と二度日本に行って楽しかったのと、アニメ大好き。二人ともなかなか記憶力・思考力があって、私のフランス語の説明でもすぐ理解してくれる。10月からはアンドレスも加わった。生徒には、必ず日本の名前を付けるようにしていて、エリオットはかずき、イザエはゆか、アンドレスはぜんいつ(鬼滅の刃のキャラだが、私は見たこともないので全く知らなかった)。しかしよく日本のアニメ知ってるなあと思ったら、フランス系のケーブル/サテライトTVCanal+では、J-oneという日本のアニメに特化したチャンネルがるのだ。このチャンネルで一日中日本のアニメ(フランス語吹き替え)をみているらしい。

そして先週、第4回目のコースが終了した。テーマは「お誕生日」。招待状をもらったり、プレゼントを買いに行ったりする場面を設定して最後はバースデーパーティーで終わる。修了証も授与して、最後は見学者たちも交えてケーキとお茶で談話。フランス含めヨーロッパでは、この最後にパーティーというのが重要で、テストしてはいさよなら、という訳にはいかない。今回は日本茶と手作りケーキで終了をお祝いした。

私の目標としては、私自身がモーリタニア永住ではないことを前提に、彼らがいつかまた日本語を学習したい、と思ったときに、いくつかの場面に適切なフレーズがするっと出てきて、教える人が彼らの学習経験を見て取れるようにしてあげることである。子どもたち相手は楽しいが、こちらがちゃんと準備していないとすぐ気がそれてしまうので、それなりに時間やエネルギーは使う。毎回楽しんでくれているようなので、彼らが望む限りは続けていこうと思っている。私自身も、長くなってきた海外生活の中で、自分が育ってきた言語についてより多く触れたり考えたりする機会を持つことができて感謝している。

第4回日本語コース修了おめでとう!これからも頑張ってね!

修了証授与!
日本語ドラマ本番中!フランス語字幕付き!

生活一般, Uncategorized, 文化

モーリタニア的休日の過ごし方

週末を、主人の同僚モーリタニア人スタッフ、ブラヒムさんの田舎の休暇滞在先に招待されて一泊してきた。毎年夏の休暇時期になると招待してくれて、これで3年目だ。毎年の楽しみな恒例行事になってきた。

ここモーリタニアでは、土地代・住宅購入費が上昇しているとはいえ、まだまだ市場も発達していない。地方ではさらにそうだ。割と安定した職を持っている層になると、田舎に休暇用の家を持っている人々が多い。我々が招待されるのは、国の南にあるエルキズ(Rkiz)近くにある彼らの休暇先だ。

休暇用の家というと、ゴージャスなプール付き邸宅を想像してしまうが(タイでは割とそのパターン)、ここでは何もない土地にモーリタニア式テントのハイマを張ったのが、休暇用の別荘変わりだ。日がな一日のんびりとミント・ティーを飲んだり、お祈りをしたり、家族と食事をしたり、昼寝をしたりしてすごすのだ。

朝8時にヌアクショットの我が家を出発し、到着したのは午前11時。一昨年、昨年と8月に来たが、今回は9月。何度か雨も降ったらしい。いつもセネガルに行くときに通る町、ティゲントから東に向かう道を曲がると、昨年は乾いた砂景色だったところが、見事に緑色のじゅうたんが敷き詰められたような、みずみずしい草原が広がっている。

エルキズへ向かう草原の一本(舗装)道路

エルキズに向かう途中で左折しないといけないのだが、何しろ両側が地平線まで見渡せるような砂漠地帯(今回は草原)を走るひたすら一本道の舗装道路で、特に道しるべや目印になるものがない。昨年グーグルマップ上に左折地点を残しておいたはずだったが、電波受信も怪しいのか表示されない。ブラヒムさんが時間を見計らって舗装道路の脇まで迎えに来てくれた。ここからさらに10キロほど草原地帯を疾走して彼の別荘に到着する。

到着するとすぐにラクダ乳のウェルカムドリンクが出てくる。両手で抱えるほどの木製のモーリタニアン・ボウルになみなみと入ったキャメル・ミルクが各人に用意されている。しぼりたてで牛乳とはまた違った風味だが、牛乳だってこんなに飲めない。いつも半分くらいでギブアップする。そんなことはお構いなく、小さなグラスに注がれるミント・ティーが回り始めた。(ミント・ティーについてはこちら。)ほかの客人もいて、皆で一つテントの下で談笑し始める。

木のボウルに出てくるラクダ乳。八分目まで飲んでおなか一杯。

昼一時ごろに、朝から締めた羊を焼いた大きなメシュイが出てきた。ハイマの下でみんなであぐらをかいて囲む手づかみのメシュイは何とも言えずおいしい。朝から着てきたメラファがずり落ちて食べにくいなーと思っていると、他の客人から「苦労してますね。楽な恰好でいいですよ」と言ってもらう。メシュイも食べつくしてまったりしていると、今度はお米と羊肉を焚きこんだものが出てきた。ちょっと脂分が多いが、しょっぱいライス・プディング的な感じで食べてしまう。

みんなで昼食のメシュイを食べる。パンと一緒に食べる。

そして皆がお昼を食べ終わって、日も和らいできたころに、女性のおしゃれであるヘナをやってくれる。私はここに来る時しかヘナをしないが、女性どうしでおしゃべりしながら時間を過ごすのが好きで、楽しみにしている。ヘナで手足を装飾するのは、マグレブ地域から中東、南アジアまで見かけるが、テープを使った幾何学的な模様のヘナはモーリタニア独特のものらしい。医療用の厚手のテープを細長く切って、あれがいいこれがいいとか言いながら女性たちが私の手足の指にテープを張り始める。テープを切る道具は、なぜかカミソリ歯。自分の爪を下敷きにして上手に切っていく(ちょっと見ていて怖い)。

あとは水に溶かしてペースト状になったヘナ・パウダーを皮膚にはりつけ、その辺に風邪で飛んできた薄手のビニールシートを巻き付け保護して1時間ほど色をしみこませる。客人としてやってもらうヘナは、女性客に対する歓迎の証でもある。ヘナが完成すると、お土産としての新しいメラファを巻いてくれて、女性たちは手拍子に合わせて歌い始める。私が「ありがとう」を込めてちょこっと踊りだすと、とても喜んでもらえる。

ヘナが終わったころには、空も薄暗くなり始めていて、いつの間にかテントの外に絨毯とモーリタニア式ベッド兼ソファーがセッティングされていた。星空野外サロンなんて贅沢だ。暮れゆく空を背景にまたミント・ティーを飲んだり、おしゃべりをしていると、夕食が出てきた。息子が去年気に入ってリクエストした羊肉と野菜入りのマカロニ・パスタ。羊肉のダシが聞いていて意外とおいしいのである。時々感じる砂もご愛敬。

おなか一杯になり、ソファーに仰向けになると、夜空一面の星が天井だった。いろいろしたようで何もしなかった週末、、、これでいいのだ、モーリタニア的休日はこうでなくてはならないのだ。

まだ時刻も早いのに、昼間の暑さのせいか、瞼が落ちてくる。遠くに牛やロバの鳴き声を聞きながら眠りについた。

生活一般, Uncategorized

ニンジャの行方

ここアフリカ大陸のサヘル地域一帯に生息する陸ガメがいる。大陸は西側のモーリタニアから東側のエチオピアあたりまで生息分布しているそうだ。IUCN(国際自然保護連合)によれば、絶滅危惧種に指定されている。

我々が三年前にモーリタニアにやってきて、この家に住み始めた時、我々よりも長くそこで暮らしてきた同居人(?)がいた。アフリカリクガメの、ケヅメリクガメだった。息子が即座に「ニンジャ!」と名付けて、ニンジャは我々の家族となった。家の裏手に住処があって、明るくなると地上に頭を出してきて、庭を散歩しては草をはみ、こぶし大の黒い落とし物をしながら歩くのだった。気温と湿気が高い時期が好みのようで、夏はとにかく家の周りをぐるぐる歩き回っていたものだった。水は嫌うと聞いていたが、時にプールで気持ちよさそうに泳いでいる姿も目撃した(そのあと救出しないといけないのであった)。

先月一か月近くの夏季休暇から帰ってきたとき、プールサイドに黒い落とし物があり、「ニンジャも元気そうだねー」と家族と話していた。

ところが、まったくニンジャの姿を見ない日が2週間近く続いた。以前も一ケ月ほど穴にこもっていたことがあり(メスだったのでおそらく産卵していたと思われる)、そのうち出てくるだろうと思っていたが一向に姿を見ない。この暑い時期の散歩は大好きなはずだ。庭中捜しまわったが、気配はない。獣医に相談してみたが、「誰かが穴に潜って姿を確認しないと何とも言えない」とのこと。そりゃそうだ。穴の深さは50センチほどだが、幅も1メートルに満たずのぞき込むと相当奥まで伸びている。小柄な体格の人間でないと肩も入らない大きさだ。小柄っぽい庭師にお願いしたが、のぞいたところ、穴はまっすぐ伸びて突き当りから右に折れているので、おそらくそこにいるのだろう、1-2か月出てこないなんてよくあることだ、ということで最終確認には至らない。そこで息子が立候補して肩まで入ってみたが、ニンジャは見えなかった、とのこと。最終的に私がモップの取っ手の先にスマホを取り付け、ビデオを回しながら上半身入ってみた。なるほど、右に曲がって掘られている。ビデオを右側に向けて撮影。かくしてビデオを再生してみると、実は右に曲がった先は非常に浅く、行き止まりの壁が写っているだけだった。家の敷地内含めてニンジャの住処はもぬけの殻だということがやっとわかった。

過去に、門が開いている隙にニンジャが外出しかけたこともあった。唯一考えられるのは、同様に門番が手と目を離したすきに開いた門の隙間を抜け出て、道行く何者かにさらわれた、という経緯だ。ケヅメリクガメは、家畜やそのほかの動物を取引しているマーケットに行くと、高く売れるらしい。特にニンジャほどのサイズになると(全長6-70センチ、高さ3-40センチほど)さらに値が上がるとのこと。

門番(3人交代)に話をして、周辺に事情聴取・目撃情報を収集してもらうよう依頼した。そして2週間後、我が家から200メートルほど先の路上で大きなリクガメを発見して引き取った、という人物が現れた。

その人物は発見現場にすぐ近くに住んでいて、1か月ほど前に自宅付近をさまよっている大きなリクガメを見つけ、保護し、しばらく自宅の中で飼っていたということ。今は60キロほど離れた知人宅に預けてあるので、すぐ持ってこさせる、といって誰かに連絡していた。そして1時間後、埃被った車の後部スペースに、大きなリクガメを乗せてやってきた。

同じ種類でサイズも似通っていて、ぱっと目には同じ亀に見えるが、なんとなくこれはニンジャとは違う、と感じたが、確証がない。甲羅の後部右側に穴があけられている。「動き回るから鎖にかぎつけて飼っていた」とのこと。ひどいことするものだ。さらにひっくり返しておなか部分を確認すると、おなかのへこみ具合がオスっぽい。オスのおなかは、交尾しやすいようにへこんでいるのだ。2年ほど前に取ったニンジャの写真とも詳細に見比べた。微妙な甲羅の曲線や爪の生え方など、やはりニンジャではない。間違いなくニンジャではない。

ところが、よく見れば見るほどこのカメの生育環境はラフだったことが想像できた。甲羅の一部が欠けていたり、爪の一部がなかったり、甲羅全体もこすれた後がたくさんあり、また送り返したら鎖につながれた生活に戻るのだと思うと、忍びなくなってきた。ニンジャではないけれども、連れてこられたのも何かの縁、ここにおいて少し自由に歩き回ったり、好きな時に芝生を食べたり、空いてるニンジャのベッドで寝てもらってもいいではないか。実際のところ、路上での発見に至る経緯はほぼ作り話で、外国人がリクガメを探していると聞いて商売目当てでどこからか連れて(買って?)来たのだろう。しかも5000ウギア(日本円で1万円以上!)を要求してきた。我々が探していたカメではないが、輸送費は払うのでぜひうちで世話をしたいという旨説明して、言い値の半額支払って引き取ってもらった。

息子がこの新しい家族メンバーに、「ココ(多分映画のCocoから来たと思われる)」と名付けた。ココ、ようこそ我が家へ!

突然みしらぬ場所に連れて来られ、草むらに逃げ込むココ

Uncategorized, 国内旅行, 文化

国際女性デー公式行事:音楽・ダンス・メシュイ

週末に、モーリタニア政府が主催する、国際女性デーの行事に招待された。場所は、ヌアムガル(Nouamghar)という首都ヌアクショットから車で3時間ほど離れた小さな漁村。バン・ダルガン国立公園の入り口でもあり、公共機関の出張所なども多いため、中央政府からの出張者も受け入れるためにVIP用の宿泊施設も数年前に建設された。今回、政府関係者はそのVIP施設に泊まるらしいが、我々は、慣れた釣り客用のテントに宿泊した。

午後7時に公式行事が始まるということで、モーリタニア衣装に着替えて7時前に現地到着した。が、行事用の大型テントは薄暗がりの中。隣の宿泊施設から引っ張ってくるはずの電気がうまくいかず、発電機をもってきて何とかするらしい。まあ何とかなるだろうと、我々は駐車場のあたりでうろうろぶらぶらして時間をつぶす。携帯の電波受信も微妙なので、携帯で暇つぶしもできない。そのうち、男性のブウブウや女性のメラファが薄暮の中にフワフワとどこからともなく集まってくる。暗くなる大地を背景に、ふわふわした物体があっちに集まり、こっちに集まりしているのが風情でもある。しかしおなかも空いてくる。行事後の夕食に招待されているので、持参したお菓子で小腹を満たし開催を待つ。

午後9時近くになって、やっと発電機がうなりを上げた。さらに大臣の到着を待って、行事は始まった。こういう場合の言語は、アラビア語のモーリタニア・バージョンであるハッサニア語で行われる。私はモーリタニアに2年半いるが、フランス語の上達もやっとでハッサニア語はまだまだ追い付かないため、社会・子ども・女性大臣、青年・スポーツ大臣をはじめとするVIPのスピーチ中は、テント内のわきに追いやられている(?)女性たちの中に入って、フランス語で説明してくれそうな地元の女性を探したが、どうにもみつからず、ただ座っているしかなかった。(じゅうたんの上にあぐら座り、というのが一般的な座り方)公式の場では男女は別々で、スピーチ台は男性が正面だ。国際女性デーのイベントでも関係ないらしい。そんなことを観察していると、地元の村の女子によるファッションショー(キャットウォークだけ)が始まった。友達同士恥ずかしそうにしていてなんだかかわいいが、インフォーマルな感じは否めない。日本の学校みたいに、「人前ではピシッとしなさい!」なんて言われないんだろう。

そして、行事のハイライト、音楽が始まった。モーリタニアの伝統的な音楽は、調べたところによると、アラブ風、アフリカ風、混合風、というあるらしい。この国の人種や地理と同じく、やはり音楽もアラブ世界とアフリカ世界が交差しているようだ。また音楽を演奏する人たちは、必ずハラティン(モーリタニアでは一般に黒モールと呼ばれる)の人々だそうだ。この辺りも私はきちんと勉強しているわけではないのでいろいろと書けないが、とにかくこういった伝統的なことは部族ごとに役割が決まっている、ということが多いようだ。

モーリタニアでティディニッ(Tidinit)と呼ばれるボディがひょうたん型の細身のギターがアラブ音階を奏で、太鼓(いわゆるジャンベ)がアフリカっぽいリズムを刻み、黒い衣装に身を包んだハラティンの女性が日本の民謡を思わせる声音とメロディーで歌い始める。そのうち、木製のショットガン模型(モーリタニア・カラーの緑と黄色でペイントされている)みたいなものを持った男性二人が出てきて踊り始めた。テンポが次第に速くなると、二人はやおらコンバットみたいにリズミカルな格闘シーンを繰り広げては突然床に伏せては跳ね上がったり、なかなかアクロバティックな踊りを披露してくれた。ハッサニア戦士たちの勇敢な戦いのシーンらしい(個人的には、東南アジアで見たラーマーヤナの戦いシーンを彷彿とした)。エレキギターも入って手拍子とともにさらに白熱してくる。次に歌声が男性のだみ声に変わると、さっきまで歌っていた女性二人が盆踊りを思わせる手の動きで戦士たちの踊りの輪に入ってきた。この入れ替わりが何度か繰り返され、気合の入ったアクロバットが出てくると、観客からも掛け声がかかって会場の一体感が出てくる。後で調べてみると、こういった演奏は喜・怒・哀・楽といった情緒で構成されているらしい。ぜひ次回はもっといろいろ解説してくれる人と鑑賞してみたい。

そして夕食は音楽終了後の11時近くだった。VIPの食事は本来は男性だけのところを、招待客の家族ということで特別にVIPルームに入れてくれた。社会・子ども・女性大臣は女性だが、他にモーリタニ人の女性はいない。地元の女性たちは別室で食事をとるらしい。食事はまずナツメヤシを食べる。クリームを皆さんディップして食べるが、私はそのまま。クリームなんてつけなくても十分甘いのだ。そのうちメインの食べ物が運ばれてきた。もちろんメシュイ。15人ほどのテーブルにサラダやオードブル、そして羊丸ごとのメシュイが4頭はいたのではないか。羊のおなかにクスクスが詰められていて、羊の体に何本も突き立てられた切り取り用ナイフで、近くに座った人がメシュイ奉行となって周りの人に適宜切り分けてくれる。とてもおいしいメシュイだが、ボリュームがすごいので一皿で相当おなか一杯になる。お皿が開いていると、周りの人が無言でお肉を追加してくれるので、必ず何かお皿に残して食べ終わることにしている。テントに着いた頃は、もう日付を過ぎていた。主人を含め数名はそこから夜釣りに行ったが、私はあの不思議な音階を思い出しながら眠りについた。