2021年はやはりモーリタニアで迎えた。
昨年3月にコロナ新型肺炎の陽性確定者第一号が出てから、我々はずっとモーリタニア国内にいる。一度陸路でセネガルに行ったきりだ。
私自身もコロナのお陰で、と言うべきか、仕事が舞い込んできた。当初はモーリタニア国内におけるコロナ対策関連の援助にかかる仕事をしていたため、作業量も多かった。子どもは自宅でオンライン学習。夏場の暑い時期は、市内の電力供給量が需要に追い付いていないため、午前8時以降に人々が冷房を使い始める時間帯になると、我が家の電力も不安定になり、インターネットモデムこれに反応してシグナルが消えたりする。しばらくするとまた電気は戻ってくるが、先生と再接続できるまで確認しないと、この隙に小学5年生はYoutubeを見始めたりすることもある。なので昼間はオンライン学習の監督に通常の買い物などでバタバタして、仕事は片手間、やっと腰を落ち着けられるのは夜になってしまい、深夜まで毎日仕事をする状況だった。
コロナの状況も少々落ち着いて、仕事内容もあまり緊急性を要さないものが増えてきたころ、今度はけがをしてしまった。転んで右肩を強く打ち、とっとと医者に診てもらえばいいものを、だましだましにしてろくに治療もせず、テニスやサーフィンを続けていたら、ある日もう耐えられないくらいの痛みになり、PC入力すら右手でできなくなった。やっとレントゲンやエコーを取りつつ、人に勧められた専門医に行ったら、MRIまで取る必要アリとのこと。モーリタニア国内ではできないと信じていたMRIは、少なくとも2か所でできることが分かった。ところが一か所目のプライベートクリニックは、順番取りで一番になったものの、肩画像をとるための機材が故障しているから、国立病院へ行けと言われた。すぐに翌日のアポを入れ、翌日に行くと、今度はここも機械そのものが故障。来週来てみて、と言われ、翌週行くと、アポを取り直すように言われ、これまた翌週。そしてやっとその一週間後にMRIを実施した。
日本で一度MRI検査を受けた時は、検査衣への着替えはもちろん、金具類の取り外しやら、いろいろと説明を受けた。ここでは、持ち物は脱衣所に置いてください、以外の指示は何もなく、私服でそのまま横になれ、とのこと。体が固定された後、腕時計はだめだな、といって外された。そしてトンネルの中にウィーン、と入っていく。日本では音がうるさいからヘッドホンつけたなあ、と思い出していると、一分もたたないうちにまたウィーンという音とともにトンネルを抜け出た。速攻で検査終了したわけではなく、医師が操作室から出てきて、書類はどこだ、と聞く。書類はバッグの中で脱衣所に、、と言ったところで眉間にしわが寄り、名前は何だ、と聞くのでスペルを言うと、日本人名は複雑すぎるらしく、「書類を出さずに検査を受けるとは何事だ」とお説教が始まった。しょうがないので自分で固定装置を外して小走りで脱衣所に向かい、医師の診断書と検査代領収書を手渡した。(こちらの病院では、すべて前払いである。領収書なしでは診察もしてくれない。)

無事に検査終了すると、医師が「結果は来週」とのこと。また一週間待ってやっと、結果が出た。さて専門医に再診してもらおうと思ったが、タイミング悪くクリスマス期間となっていた。クリスマスが一大行事の我が家では、期間中に他のアポなど入れられない。クリスマスが過ぎた頃に専門医にアポを入れようとすると、年始まで休暇で不在とのこと。結局年が明けてから再診となった。医師からの年始の挨拶の後の一言目が、「ずいぶん時間かかりましたねえ」だった。ほんとに。
とにかく現在もリハビリ継続中で、ろくな活動はできないが、モーリタニアではコロナ第二波でまた夜間外出制限も再施行となったので、冬眠のつもりでのんびり治そうと思っている。