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バン・ダルガン(Banc d’Arguin)自然国立公園とヌアディブ(Nouadhibou)への旅(2)

2日目の朝は、7時前に目が覚めた。薄曇りの空が広がるタファリット岬を見ながらキャンプ用ガスコンロでコーヒーを淹れていると、シディさんが草鞋みたいな大きさの、焼き立てほかほかのパンを持ってきてくれた。キャンプ場のとなりで水やちょっとしたものを売っている人たちがいて、朝はこうしてパンを焼いているそうだ。素朴な味で結構おいしい。本日のプログラムは、午前中から昼過ぎまで半日魚釣り・ボートトリップ、その後いったんシャミの町に出てお肉を買い、夕方は砂丘の上でメシュイ、となっている。車に荷物を積んだ後、まだ時間があったので、シディさんがお茶を淹れる。ミント・ティーの甘苦い味は一日の活力を与えてくれる。

前日と同じ場所を通りながらイウィクに着いた。しばらく待っていると、村の男性が、その辺の木材の寄せ集めのようなはしごを担いできた。すでに我々のボートには3-4人の船員が乗り込んでいた。我々もはしごを伝って乗り込んで、さあ出奔。帆が勢いよく巻き降ろされ、ロープで帆を張る。風に帆がふくらんで船はゆっくりと村を離れた。バン・ダルガン公園内では、環境保全のためにモーターの使用が禁止されている。なのでこの近海で行われる小規模の漁業は全て帆船。マスト1本だけの小型帆船だけだ。水面の音を聞きながらまさに滑るように船が進んでいく。

1時間ほど乗っていると、正面に岸が見えてきた。他の外国人観光客を乗せた帆船が浅瀬に停泊している。これも同じく環境保護を目的として、調査目的以外では人は岸に上がってはいけないことになっている。彼らが浅瀬で遊んでいるその向こうには、ペリカンらしき群れが見える。双眼鏡で見るとさらに遠くにはフラミンゴが群れている。2-300羽は優に超えているだろう。時々波を描くように群れで舞い上がる。12月になると遠くロシアから北極を超えて越冬しに飛来してくる鳥がさらに増え、最大数は数万羽になると言われている。この時期でもかなり見ごたえがある。12月に再度来てみてみたい。

さて目的の島に到着した。ここも上陸はできない。周辺の浅瀬で泳いでクールダウンした後、釣りざおを垂らしてのんびりと魚が釣れるのを待った。20分ほどで息子が最初の一匹をゲット。そのあと、ぼちぼちかかって1時間弱で5匹ほどが釣れた。家族で初めて釣りに挑戦した我々としては上出来だ。その場で内臓だけ処理し、翌日のお昼にバーベキューにすることにした。

そしてイウィクへの帰途、シディさんが遠くを指さして言った。「いるかだ!」皆興奮してボートから身を乗り出す。舟から見える数は多くないが、魚の群れを追っているらしく、ときどき背びれ付きの丸い背中が海から飛び出してくる。なかなかシャッターのタイミングがつかめない。いるかに追われている魚も跳ねながら逃げる。タンザニアのサファリで、ライオンがガゼルを追い詰めるところを見ているようなもので、追われている方にしてみれば、見世物になって迷惑な話かもしれない。だがいるかのこうした野生の姿を見ることはなかなかないものだ。シディさんは新旧モーリタニア大統領の名前とか呼んでいる。。逃げたら困るんですが。

さてその後いったんシャミの町に戻り、メシュイ用のお肉を購入。夕食は砂丘でメシュイにしよう、というシディさんの提案だった。また砂漠を走る。私にとっては行けども行けども同じ風景だが、シディさんは小さいときから数えきれないほど往来していて、ちょっとした植物の移り変わりなどが道しるべとなるらしい。3-40分ほどすると、むき出しになった肌のような砂丘が見えてきた。見晴らしのいいところまで車で登って、持参した簡易バーベキューセットに炭で火をおこす。さっそくメシュイの調理が始まった。メシュイにはよく玉ねぎが一緒に調理される。これにシャミの町で買ったフランスパンが主食だ。もちろん食事の前後にはミント・ティーが淹れられる。

砂漠の向こうにぼんやりと遠く沈みゆく夕日を見ながら、我々以外に生きて動いている物ははいないような感覚になった。そして我々の食事は、シンプルだが、一生に一度くらいの特別な食事に思われた。メシュイを食べ終わったころにはすっかり日も暮れ、暗闇の中をイウィクへ戻る。夜間運転もシディさんの眼だけが頼りだ。そしていつの間にかイウィクへ戻り着き、宿であるコミュニティ・キャンプ場のバンガローに落ち着いた。シディさんは外で火を焚いてその周りにござを敷き、ミント・ティーを淹れ始めた。主人はござの上にマットレスをおいて夜空の下で寝るという。私もしばらく海からの風に吹かれながら寝る前のミント・ティーを楽しんで眠りについた。

翌日はモーリタニア第二の都市、ヌアディブだ。

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半日砂漠トリップ

ヌアクショットは首都といえど、中心部から車で20分も離れれば、住宅や建物もまばらになる。住み始めて8か月ほどになるが、まだあまり国内を旅していない。これには色々と理由があるが、ぜひ近場でも砂漠トリップを体験したい、ということで、現地ガイドを見つけ、市内から半日でできる砂漠トリップに行ってみた。

午前10時半、ガイドのラハマさん(だったかな)が白いブウブウを身に纏いお茶セットを抱えてやって来た。ついに砂漠でのミント・ティーが体験できるようだ。 こちらのお茶は、日本のほっと一息ティー・タイム、よりももっとモーリタニアの人々の生活に存在感がある。一説によれば、このお茶(テ・ア・ラ・マント Thé à la menthe: 緑茶とミントを煮出した甘いお茶)は、19世紀半ばにモロッコから伝わって来たもので、一部エリートの人々の間でのみ親しまれたが、独立後により一般的に飲まれるようになったとのことだ。(*1)当初は成人男性のみのものだったが、現在では女性や子どもにも行き渡るようになった。その淹れ方は、前述のような経緯もあってか、片手間で入れるのではなく、きちんとお茶入れの儀式に従事しなくてはならない。まだ遭遇したことはないが、車での長時間の移動の際にもお茶の時間になると、道路わきに車を止めてティー・タイムが行われるそうだ。

たらいでミントを売る青年

ミントは新鮮でなくてはならない。市内から国の西南部マリ国境に向かう国道3号線に入るところで、ミントを購入する。皆、国道に入る前にミントを買い求めるのだろう、交差点では青年たちがミントを大きなたらいに抱えて売っている。たいてい1回分のミントが一束になっており、10ウギア(35日本円くらい)/束で買える。これを1束窓越しに買って、一路郊外のワダナガ(Ouad Naga)へ。

売られてゆくラクダ

旅に備えて車の燃料補給にガソリンスタンドに立ち寄った。正面から、かなり年期の入った、ぼこぼこで塗装もはげたトラックがやってきた。その荷台にはラクダが一頭座り込んでいる。膝を折った状態で四肢を縛られていた。この先にあるラクダ市場から購入されてきたとのこと。この国ではラクダは貴重な財産となる。

市内から30キロほどのところで、警察のチェックポイントを通過。国内小旅行といえどパスポートを忘れてはならない。政府車両及び外交車両以外は全て身分確認される。ガイドさんも一緒なので、事情説明してくれて問題なく通過。こういったチェックポイントが国内に点在している。

そして、先ほどのラクダが荷台に積まれたと思われるラクダ市場を通過。ラクダ、らくだ、駱駝、、、売られる身であることを知ってか知らずかラクダたちはのんびりとたたずんでいる。

ラクダ市場のラクダたち

さて目的地のワダナガに到着。約1時間半のみちのりだった。ワダナガとは、「水」と「低地」という意味だそうだ(何語だったか不明)。確かに町の両側に丘陵があり土地は乾いているがところどころ沢の跡のような窪地がある。

腹が減っては何とやらで、まずはランチ!そしてランチはもちろんメシュイ。メシュイ・オーブンのある所でメシュイをオーダー。簡易食堂みたいなところで、表にはおじ様方がござに座ってお茶を飲んでおられ、我々は奥の部屋に通してもらう。部屋といってもメシュイ屋さんの住居で、四畳半くらいの一部屋のみのコンクリートでできたスペースだ。家具もほとんど無く、小さくてほこりをかぶったテレビと子供用の服が2-3枚無造作に置いてあるのみ。床にはカーペット。相当古くてほこりっぽいので裸足になるのを躊躇してしまうがやはり人様のおうちなので靴は脱いでお邪魔する。ハエもたくさんやってくる。外の気温も30度はあるだろうがこの部屋の中にいるには湿気がないのが救いだ。家族と思われる小さな子どもやヤギが我々の様子をのぞきに来る。ラハマさんがパンを買ってきてくれた。フランス起源のバゲットは、他のフランス語圏と同じく、モーリタニアの主食の一つ。メシュイを待つこと、40分以上。オーダーしてからお肉を買ってきて焼き始めるので、まあこのくらいの時間はかかる。それにしてもお腹が減ってきたので、パンをかじって待つ。そうするうちに大きな焼けた肉の塊がやってきた。メシュイ・タイム! 

ヤギ皮の水入れがメシュイ屋の表にあった。

日本のなべ料理のなべ奉行よろしく、メシュイにはメシュイを切り取って人々に分けるメシュイ奉行がいるのが通常だ。今回はもちろんラハマさんが奉行となって切り分けてくれる。切ってもらったお肉一切れと一口サイズにちぎったパンを手づかみで一緒に口に入れる。羊肉の脂身とパンの塩分が絡んでなかなかおいしい。。おいしいが、肉とパンだけかあ、、と思いながらゆっくり噛んでいると、周りは皆おいしそうにパクパクと食べてしまった。80年代にモーリタニアを旅した英国人作家ピーター・ハドソンによれば、もっと国内奥地では、1頭のヤギのメシュイで家族が2-3週間は食べ続けられるということなので、この簡素な食事もありがたい食事なのだ。。。と、考えているうちにフィンガーウォッシュのお水と粉石けんKlinがでてきた。(*2)この粉石けんはおそらく衣類用洗濯洗剤なのだが、価格的にこちらの方がお手頃だからなのか、フィンガーウォッシュはKlinでの洗浄が田舎では一般的だそうだ。

これで手を洗う

さて、お勘定を終えて、やっと砂漠へ。とはいっても幹線道路から外れて200メートルも進もうものなら目の前はオレンジ色の砂漠なので、5分ほど進んでお茶づくりによさそうなスポットを見つけて車を停めた。ラハマさんは木陰に陣取ってお茶セットをてきぱきと出し、手で一掴みほどの炭を砂地に直に置き火をつけた。その上に直に銀色のティーポットを置いてお茶を沸かし始めた。お茶の葉とミントを煮出したら、砂糖を入れたもう一つのティーポットに注ぎ込む。ここからが重要で、お茶用のグラスにはある程度の泡を作らなければならない。ポットをグラスに交互にお茶を移しながら泡をつくるのだが、なるべく高いところから注いで泡ができるようにする。泡も浮かんでは消える泡ではなく、しっかりグラスの中に残らなければならない。この泡の層がグラスの半分ほどできたら準備OK。お茶も程よい温度になり、 グラスも温まって、おいしいお茶を注いでできあがり。小さいころに、お茶が熱すぎるときには湯飲みどうしでお茶を交互に移してお茶を冷ますと良いのだ、と教わったことを思い出す。 そうすると湯飲みも温まってよりお茶が美味しく飲めるのだと。ラハマさんが、おいしいお茶を作るために大切なこと3つを教えてくれた。炭火を使うこと、じっくり時間をかけること、それから人々が集うこと、なのだそうだ。ティータイムはモーリタニアの人々の生活の中でとても重要な役割を果たしているのだ。

幹線道路から少し入ると、そこには砂漠が広がっている

先述の英国人作家ハドソン氏は、砂漠を1週間歩いて旅した際に、この一杯の甘苦いミント・ティーが、どれだけの水よりも喉を潤してくれた、と記述している。確かにその味はお茶キャンディーのようで、水分とともにカロリー補給もしてくれ、カフェインも手伝ってか、喉ばかりでなく、暑さと乾燥で(そのせいだけではないかもしれないが)私のぼんやりした頭もシャキーン!とする。この国の気候で暮らすには無くてはならないものであることが分かるような気がする。

お茶の後は砂漠を少し散歩して帰路に着いた。砂漠トリップというよりはお茶トリップという感じだったが、これからしばらく滞在することになるこの国をもっと旅してみたくなる経験となった。

帰途で動物園、と呼ばれる一般開放されている個人の庭を一巡りした。ダチョウやクジャク、リクガメやアヒルなどがたくさんいる。こんな砂漠の真ん中によく造ったものだ。しばし緑の中で熱さを忘れて楽しんだ。

*1  Facebook “Mauritanie et culture”より
https://web.facebook.com/MAURITANIEN/photos/a.265977093551501/673863076096232/?type=1&theater

*2  “Travels in Mauritania” (1990) by Peter Hudson
https://www.goodreads.com/book/show/6532983-travels-in-mauritania

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季節の変わり目、砂嵐

季節の変わり目には天候が一荒れするもの。日本でも春の訪れは春雷や春一番などが教えてくれる。

ここモーリタニアでも季節の変わり目には砂嵐がやってくる。サハラ砂漠の砂を巻き上げて吹いてくるこの風をハルマッタン(Harmattan)と呼び、ハルマッタンがやってくると砂塵で空がかすみ、細かい砂塵が家の中に窓を閉めていても入ってくる。基本的には乾季に起こる風らしいが、ヌアクショットにいる限りは、冬(涼しめ)の間はわりとすっきりしており、ここ一か月ほどになってハルマッタンが砂を巻き上げてきている。(写真)

自宅前からみた冬場の空と
サウジ・モスク塔
ハルマッタンの日はサウジ・モスク塔もかなりかすんでいる

こちらに長く住む人によれば、8月を過ぎると一ハルマッタン毎に涼しくなるのだという。この季節(3月)のハルマッタンは確かに一度吹く度に日中の熱さが増してきているようだ。

少々調べたところ、日本の俳句でも砂嵐は春の季語のようだ。そういえば、子どものころ、春先になると、空が黄色っぽくかすむことがあり、あれは中国大陸砂漠の砂が巻き上がってやってくる黄沙現象なのだと教えられた記憶がある。そんなに遠くから風に乗ってくるものなのかと、見知らぬ遠い砂漠を想像したものだ。

とはいえ、昨今は都市環境の悪化で空気汚染値がメディアでも発表されるようになった。空気汚染は産業排気などの化学物質だけではなく、このような自然の砂塵もカウントされる。 実際、昨年隣国のセネガルではハルマッタンによる大気汚染警告が在セネガル日本大使館から出されている。 ここヌアクショットでもハルマッタンのひどい日に日中買い物に外出しただけでも喉の痛みなどが感じられる。こちらの女性のように、体も頭も鼻や口まで覆っていないとこの砂塵は避けようがない。こういったときに、こちらの人々の服装は実に理にかなっていることが分かる。まこの話は後日するとして。

そんなわけで最近は外出時に必ず頭部にかぶれるような布を一枚持ち歩くようにしている。

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自宅でメシュイ(Mechoui)

1月は北半球のモーリタニアも冬。アフリカ大陸といえど、朝の気温は10度台まで下がり、フリースの上着を着るくらいの体感気温になる。

今朝の気温は15度。日中は30度近くまで上がるので日本でいうと暖かい春先のような気候だ。家の庭ではレモンの花が咲いている。近くの八百屋さんでもオレンジやミカンがたくさん出され、イチゴも出るようになった。さてそんな中、先日は我が家に主人のオフィスの人たちを招いてパーティを開いた。こちらのパーティでごちそうといえば羊の丸焼き、メシュイ(Mechoui *1)。スタッフのデチエさんが陣頭指揮を執って、ご本人の出身地ダル・エル・バルカ(Dar El Barka*2) のメシュイが我が家の庭先で調理されることになった。

大きな麻袋に薪炭とお肉、両端が鋭く削られた長さ1メートルほどの串用枝木10本ほどを携えてメシュイ職人がやってきた。まずは調理場の支度から開始。この日は風が強く砂が吹きあがってきたので、周辺にたっぷり水を撒いて、1メートル四方に浅めの穴を掘った。

調理場の整備から調理開始まで。3-4時間かけてじっくり調理する

次は炭に火をつけて焼き場の準備をしながら、こぶし大の岩塩をすりつぶし、この塩をお肉にまんべんなく擦りこむ。あとはアカシアの串木をお肉に通して、準備万端。炭火が安定してきたら、串を火の周りにさしてモーリタニア式炉端焼きの始まり。完全にお肉に火が通るまで3-4時間かかる。この間職人さんは焼け具合を見ながらお肉を裏返してむらなく焼けるようにじっくりと調理に取り組んでいる。

お肉を串刺し中
炉端焼きの開始。
調理開始2時間後。。まだもう少しかかりそう

日も暮れて午後7時ごろになるとお祈りを済ませた人々がぼちぼち参集してきた。全員そろったのは午後8時も過ぎてから。1時間くらい遅れてくるのはよくあること。

調理開始4時間後。あとは食べるのを待つばかり

皆がサラダやクスクスを持ち寄って会食が始まった。クスクスは、パンやごはんの感覚に近く、通常メシュイにはクスクスが主食として食べられる。

この後音楽隊もやってきて、皆で楽しく食べて踊って夜が更けていった。大量に残ったお肉とクスクスは手伝ってくれたアミナタや守衛さんにももちろんおすそ分け。それでも大量にあったので、半分は冷凍、半分は1週間かけて私がお昼ごはんに食べることになったのであった。。。

*1 Mechoui: https://en.wikipedia.org/wiki/M%C3%A9choui

*2 Dar El Barka : http://trip-suggest.com/mauritania/brakna/dar-el-barka/

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ヌアクショット民芸・工芸品村(クラフト・ビレッジ)

以前タンザニアやガーナに住んでいた時は、訪問客や休暇帰国前のお土産探しに工芸品村によく行ったものだった。ここヌアクショットにもモーリタニアみやげを製作・販売している民芸品村がある。

旧空港の脇にある大きな交差点、カルフール・マドリッドから少し南下したところにクラフト・ビレッジ(La foire artisanale )はある。外からはほとんど分からないが、大きな建物の裏に回ると、ハイマ(モーリタニア式テント)の中では女性が布を売っていたり、ラクダの背中に乗るためのカーペットなどが並んでいる。建物の中に入ると、ヤギ革・ラクダ革製品やそれら動物の毛織物、天然の石を使ったネックレスなどが展示してある。

我々はかねてからモーリタニア式のミント・ティーを楽しむために買おうと思っていた、お茶サーバーセットを購入した。銀の楕円形トレーに同じく銀のティー・ポット、これにガラスのショットグラス大のティーカップがお決まりのセットだ。きれいにペイントされたものがあったので、好みの柄を選んだ。

tea set

建物の外では、いくつかの小屋で職人さんたちがアクセサリーや小箱の装飾を黙々と作っている。その前の軒下で作品が並べられ販売されている。もちろん値札はついていないので先方の言い値を元に交渉して買い取り金額が決まる。

workers1職人さんのアトリエ小屋(「写真お断り」と言われたので遠目から)

shop1アトリエの外では展示販売

今回購入したのはこのブレスレット(バングル)のみ。細かいところも割ときちんとできていて、金銀入っているので他のアクセサリーとも合わせやすい。

arm bangle2

こういった黒檀彫刻も製作されている。作業も結構細かく、デザインも面白い。

curving 1

 

shop2

木の下でのんびりとした感じで営業中。

彼らは外国人観光客がもっぱらの商売相手なので、こうした装飾品は値段があってないようなもの。他方、こちらの日常砂漠生活に使われるラクダ革のクッションなどはおそらく外国人には倍以上(もしくは何倍も)の価格で売っているようである。

 

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魚市場 Marché aux poissons

モーリタニアでは大西洋の近海を漁場とする漁業が盛ん。モーリタニアでよく食べられているセネガル料理のチェブジェン(Thieboudienne)などには魚が欠かせない。レストランなどでも魚の姿焼きや魚介類の煮込みなどが主なメニューに並ぶ。

ところが、私が普段行くようなスーパーマーケットなどでは魚介類はほぼ見かけない。一度小さな地元民向けの生鮮食品市場で見かけた魚を買ったらものすごく高かった(またはものすごくぼられた)ことがあった。市内最大規模の市場と言われているマルシェ・キャピタル近辺で魚を運搬しているのを見かけたことがあるが、この辺りは特に道路交通無法状態で自分で運転して行くのが気が進まない。そこで、我が家で料理洗濯を手伝ってくれているアミナタに頼んで、ヌアクショット市民の台所ともいえる漁港に隣接する魚市場に海鮮食材を買い求めに行くことにした。

毎日朝9時、正午、夕方4時ごろが漁船が返ってくる時間帯と聞き、市場に着いたのは9時過ぎ。魚が揚がってきてはいるようだがまだ売るのはこれかららしい。一度金曜の夕方に家族と来た時のほうがにぎわっていた記憶がある。それでも市場の中へ歩を進めていくと真鯛、舌平目、などなどいろいろなお魚が並んでいる(お魚全然詳しくないので正確な名前は割愛。。あしからず)。

dourades 鯛  calamars こちらはイカ

Big fish

 

 

 

 

↑こんな大きい魚が揚がっていることもある(写真は前回撮影)

floor

もちろん値札が付いてるわけではないので売り手の言い値を元に交渉を開始。アミナタが結構頑張って交渉してくれるも、私が一緒にいると財布のありかを見透かされてなかなか下げてくれないようだ。それでも日本やヨーロッパの値段に比べたらずいぶん安い。真鯛を3匹100ウギア(約300円)で購入した。

 

これにイワシ5匹、チェブジェン用のお魚2匹を買った後、捌き人にお願いして鱗を取って内臓を出してもらう。一匹の捌き賃がだいたい10ウギア。切り取られた部分は無造作に床に捨て落とされる。足場が濡れていると思ってビーチサンダルで来たが、次回からゴム長靴でも履いて来たい。

 

karasumiそしてうわさに聞いていたカラスミも発見。特にカラスミが好きではないので買わなかったが、日本に帰るときにお土産として買いに来よう。

さらに市場を奥へ進むと漁船が到着する浜辺に出る。見る限りほぼすべての船が木造漁船。荷を下ろした後は、船を沖で停泊させるために20人がかりくらいで波に抗して押し戻している光景が見られる。もう少し効率よくできそうな気もしないではないが、これもモーリタニアならではのやり方なのだろう。。

boat push

↑力を合わせて漁船を沖へ押し戻す光景

後はイカとエビを1キロずつ購入し、帰路に着いた。実はこの日マグロも揚がってきていたが、我が家で消費するには大きいような気がしたので買わなかった。後で話を聞くとマグロがこの市場に姿を見せるのは毎日ではないとのこと。。。次回見たら他の魚を置いても必ず買うべし。

che guevara ←チェ・ゲバラも見守っている

翌日、アミナタがチェブジェンを料理してくれた。

通常は全部一皿に盛られているがこんな風に別々に調理してくれた。左はトマトソースで煮たお米。真ん中はお魚と野菜を干し魚、干しカタツムリ、白ハイビスカスの蕾、タマリンドペーストなどなど多様な食材で煮込んである。そして右は買った魚から作ったすり身団子。ピリッとした味付けで白ご飯とも合いそうな味。時間をかけて丁寧に料理してくれた。どれも私がこれまで食べたチェブジェンをはるかに上回る美味しさだった。感謝していただいた。

作り方を見るのをすっかり忘れていたことに食べてから気が付いたのだった。。。

 

 

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コンテナが着いた日

10月25日木曜、我々のヌアクショット生活にとっても重要な日となった。
なぜかというと、、↓
container
家財道具一切合切を積んだコンテナが、ついにはるばるタイランドから到着した!
バンコクで荷物を見送ったのが8月21日だったのでDoor to Doorで2か月少々かかった。

ヌアクショットに到着してから3日後に住む家を決めてしまい、5日後にはマットレスだけ買って住み始め、この二か月間ほとんど家具や食器なしで過ごしてきた。物が少ない生活も活動が簡素化されてそれはそれでいいが、やはり自分の家に住んでいるような気がしないし、必要な物でも今海を渡ってこちらに来ている物を新たに買ってしまうわけにはいかない、もう少しの我慢、と思うことが重なるとちょっと気疲れもするものだ。というわけでホッと一安心。

荷物を運ぶのは運送会社のスタッフがやってくれるが、荷解きは自分の仕事。腰の痛みもなんとかバンコクから持ってきたアンメルツを使いながら乗り切った。

バンコクでは家具付きのタウンハウスに住んでいたため、ベッドも本棚も衣服クローゼットも買わずに済んでいた。ところがこちらでは家具(一切)なしが通常で、自分で持ってこなければ、限られたチョイスから比較的高い値段で買うことになる。そこで我々はこの2か月の間、荷物が着いたら必要になりそうな家具を地元の職人さんに依頼して前もっていくつか作ってもらっていた。多少時間はかかるが、買うより安いし、何といっても自分の好きなデザインの写真などを見せるとコピーして作ってくれる。
ちょっと遊び心のあるものも試してみた。
これとか。
library
なぜか二つある入口の一つを閉鎖して、子どもの図書スペースを作った。本棚はゲームのテトリスに出てくるブロックを大きくしたものを職人さんに作ってもらい、ちょっとポップな感じに。

バンコクでボランティアをしていたソップモエアーツのランナーもこのように。
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ロランが15年前にカンボジアでオーダーしたガラス張りのダイニングテーブルも無事に到着。。
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さてやっと腰の落ち着いた生活ができそうな気がしてきた。