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セネガルへの道(1)

主人のオフィスが、セネガルはサンルイで二泊三日のリトリート(会社でいうところの社員旅行のようなもの)を行うことになった。サンルイ(St. Louis)まではヌアクショットから南へ250キロほど。 セネガルに行くにはもちろんフライトもあるが、非常に頻繁に遅延やキャンセルが多いので、業務で行くときも陸路移動する人が多い。サンルイは町並みもきれいで音楽やアートが活発なところだと聞いていたので、以前から行ってみたかった。そこで、子どもは3-4日学校を休ませて、我々もセネガル行きに参加することにした。

朝10時に皆そろって四駆5台で出発。30分近く走って郊外を抜けると、風力発電のタービンが回っていた。フランスの気候変動関連の投資機関から資金を受けて国営電力公社が運営しているらしい。うちの電気料金は、毎回一応窓口で文句を言ってみるほど高いのだが、この発電施設の運営に回っているということなのか。。?そのうちに道がやたらと悪くなってきた。穴が左右に大小開いていて運転するのも大変だが、路肩もかなり崩れていて、オフ・ロードで走ったほうがよほど速いのではないかと思うくらいだ。20年以上前にタンザニアにいた時も道路事情は似ていて、英統治時代に舗装されたきりで維持管理はほとんどなされていなかった。ここも仏統治時代に舗装されたのみなのだろうか。現在EUの資金でセネガル国境のロッソまで再舗装大工事が行われている。なのでたくさん迂回しながら走行する。迂回路も時々砂だまりがあったり凸凹が激しかったりするので運転には気を抜けない(運転してるのは右手にギブスをしている主人だが)。

2時間強走行したところで、ランチ・ストップの町、ティゲン(Thiguent)にて休憩。金網で囲われてレストランの垂れ幕がある食堂へ入る。やはり絨毯敷きで壁(金網)づたいに置かれたマットレスに着席。お肉を焼く女性とお茶を淹れる男性が炭火の入ったプロパンガス七輪を前に座り込んでいる。ここでもやはりランチはメシュイとフランスパン。食後に手を洗ってミント・ティーで締めくくると、予定からの遅れを取り戻すべく一路サンルイへ。

やはりミント・ティー
レストラン店内

途中、一台の車のバンパーが外れかかり、直近のガレージで修理してもらうも、5分で再発して結局バンパーを無理やり外すといったハプニングがあった。そのバンパー修理作業中に、2-3人の女の子たちが空バケツを抱えてどこからかやってきてガレージの裏手に消えていった。運転再開後右折してガレージの裏手に出ると、そこには葦が覆い茂りたっぷりの水を湛えた沢がゆったりと横たわっていた。乾燥地帯を4時間近く運転してきたこともあって突然の水の出現に心も潤う。セネガル川は隣国のマリやギニアから支流を集め、肥沃な土壌をもたらしてサンルイで大西洋へと流れてゆく。流域は国立自然公園がいくつかあり、モーリタニア側にはディアウリン国立公園(Parc National Diawling)という越冬野鳥の飛来で知られる公園がある。このディアウリン公園の外側に沿うように進み、ジャマ(Diama) という国境を通過してサンルイに向かう予定だ。

広々とした湿地帯を横にしながら走っていくと、黒い大きな犬のような生き物が前を横切って行った。ファコシェ(Phacochère)と呼ばれるサハラ砂漠以南に生息するイノシシだ。尻尾をぴんと立ててつま先歩きするように走る姿がなんともかわいい。小さなウリ坊たちもたくさんいる。旅路を急がなければならないが、つい車を停めてスマホでパチリ。 

国境に着くと、出国審査を経ていよいよセネガルへ入国。国境を越えたとたんに入関関連施設のインフラがかなり違う。なによりも新鮮だったのは、荷車を引いているのがロバではなく馬であることだった。。こんなことでも隣国の経済力の違いが垣間見られる。入国審査を待っていると、おじさんがミント・ティーを売りに来る。こういう商売根性のある人もモーリタニア側にはいなかった。そういえばタクシーも黒と黄色で塗装がきれい。。モーリタニアで見かける塗装はげまくりの黄色タクシーはセネガルのお下がりだったのか。。比較考察が後を絶たない。

モーリタニアを出国

そのうちにリトリート会場に到着ー2時間遅れだが、ウェルカムドリンクとスナックで迎えてくれた。そしてさらに30分ほど移動してサンルイ市内のホテルへ。毎年サンルイで開催されるジャズ・フェスティバルの最終日ということもあって、街中は激込み。ホテルにたどり着いたのは夜9時すぎ。翌日、リトリートのミーティングに出かける人々を見送り、世界遺産となっているサンルイ島に出かけた。

サンルイの町は、セネガル川両岸をまたぎ、その間に浮かぶサンルイ島などからなっている。仏統治時代(18世紀)の建造物群が世界遺産に指定されていて、アートも盛ん。至る所にコロニアルな建物と現代的なポップアートが展示されていたり、通りながら見るだけでも楽しい。アフリカのプリント布(インドネシアなどと同じくバティックと呼ばれる)は、ヌアクショットのマルシェで見かけるものよりも、色や柄が洗練されている。セネガル川を行きかう漁船もなんだかよりカラフル。

サンルイで丸2日過ごした後は、いよいよダカールへ。一度訪れたかったダカール。でもきっと人生のうちに訪れることはないと思っていたダカール。よーく寝て、朝ごはんもしっかり食べて、国道2号線に乗ってダカールへと向かった。

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半日砂漠トリップ

ヌアクショットは首都といえど、中心部から車で20分も離れれば、住宅や建物もまばらになる。住み始めて8か月ほどになるが、まだあまり国内を旅していない。これには色々と理由があるが、ぜひ近場でも砂漠トリップを体験したい、ということで、現地ガイドを見つけ、市内から半日でできる砂漠トリップに行ってみた。

午前10時半、ガイドのラハマさん(だったかな)が白いブウブウを身に纏いお茶セットを抱えてやって来た。ついに砂漠でのミント・ティーが体験できるようだ。 こちらのお茶は、日本のほっと一息ティー・タイム、よりももっとモーリタニアの人々の生活に存在感がある。一説によれば、このお茶(テ・ア・ラ・マント Thé à la menthe: 緑茶とミントを煮出した甘いお茶)は、19世紀半ばにモロッコから伝わって来たもので、一部エリートの人々の間でのみ親しまれたが、独立後により一般的に飲まれるようになったとのことだ。(*1)当初は成人男性のみのものだったが、現在では女性や子どもにも行き渡るようになった。その淹れ方は、前述のような経緯もあってか、片手間で入れるのではなく、きちんとお茶入れの儀式に従事しなくてはならない。まだ遭遇したことはないが、車での長時間の移動の際にもお茶の時間になると、道路わきに車を止めてティー・タイムが行われるそうだ。

たらいでミントを売る青年

ミントは新鮮でなくてはならない。市内から国の西南部マリ国境に向かう国道3号線に入るところで、ミントを購入する。皆、国道に入る前にミントを買い求めるのだろう、交差点では青年たちがミントを大きなたらいに抱えて売っている。たいてい1回分のミントが一束になっており、10ウギア(35日本円くらい)/束で買える。これを1束窓越しに買って、一路郊外のワダナガ(Ouad Naga)へ。

売られてゆくラクダ

旅に備えて車の燃料補給にガソリンスタンドに立ち寄った。正面から、かなり年期の入った、ぼこぼこで塗装もはげたトラックがやってきた。その荷台にはラクダが一頭座り込んでいる。膝を折った状態で四肢を縛られていた。この先にあるラクダ市場から購入されてきたとのこと。この国ではラクダは貴重な財産となる。

市内から30キロほどのところで、警察のチェックポイントを通過。国内小旅行といえどパスポートを忘れてはならない。政府車両及び外交車両以外は全て身分確認される。ガイドさんも一緒なので、事情説明してくれて問題なく通過。こういったチェックポイントが国内に点在している。

そして、先ほどのラクダが荷台に積まれたと思われるラクダ市場を通過。ラクダ、らくだ、駱駝、、、売られる身であることを知ってか知らずかラクダたちはのんびりとたたずんでいる。

ラクダ市場のラクダたち

さて目的地のワダナガに到着。約1時間半のみちのりだった。ワダナガとは、「水」と「低地」という意味だそうだ(何語だったか不明)。確かに町の両側に丘陵があり土地は乾いているがところどころ沢の跡のような窪地がある。

腹が減っては何とやらで、まずはランチ!そしてランチはもちろんメシュイ。メシュイ・オーブンのある所でメシュイをオーダー。簡易食堂みたいなところで、表にはおじ様方がござに座ってお茶を飲んでおられ、我々は奥の部屋に通してもらう。部屋といってもメシュイ屋さんの住居で、四畳半くらいの一部屋のみのコンクリートでできたスペースだ。家具もほとんど無く、小さくてほこりをかぶったテレビと子供用の服が2-3枚無造作に置いてあるのみ。床にはカーペット。相当古くてほこりっぽいので裸足になるのを躊躇してしまうがやはり人様のおうちなので靴は脱いでお邪魔する。ハエもたくさんやってくる。外の気温も30度はあるだろうがこの部屋の中にいるには湿気がないのが救いだ。家族と思われる小さな子どもやヤギが我々の様子をのぞきに来る。ラハマさんがパンを買ってきてくれた。フランス起源のバゲットは、他のフランス語圏と同じく、モーリタニアの主食の一つ。メシュイを待つこと、40分以上。オーダーしてからお肉を買ってきて焼き始めるので、まあこのくらいの時間はかかる。それにしてもお腹が減ってきたので、パンをかじって待つ。そうするうちに大きな焼けた肉の塊がやってきた。メシュイ・タイム! 

ヤギ皮の水入れがメシュイ屋の表にあった。

日本のなべ料理のなべ奉行よろしく、メシュイにはメシュイを切り取って人々に分けるメシュイ奉行がいるのが通常だ。今回はもちろんラハマさんが奉行となって切り分けてくれる。切ってもらったお肉一切れと一口サイズにちぎったパンを手づかみで一緒に口に入れる。羊肉の脂身とパンの塩分が絡んでなかなかおいしい。。おいしいが、肉とパンだけかあ、、と思いながらゆっくり噛んでいると、周りは皆おいしそうにパクパクと食べてしまった。80年代にモーリタニアを旅した英国人作家ピーター・ハドソンによれば、もっと国内奥地では、1頭のヤギのメシュイで家族が2-3週間は食べ続けられるということなので、この簡素な食事もありがたい食事なのだ。。。と、考えているうちにフィンガーウォッシュのお水と粉石けんKlinがでてきた。(*2)この粉石けんはおそらく衣類用洗濯洗剤なのだが、価格的にこちらの方がお手頃だからなのか、フィンガーウォッシュはKlinでの洗浄が田舎では一般的だそうだ。

これで手を洗う

さて、お勘定を終えて、やっと砂漠へ。とはいっても幹線道路から外れて200メートルも進もうものなら目の前はオレンジ色の砂漠なので、5分ほど進んでお茶づくりによさそうなスポットを見つけて車を停めた。ラハマさんは木陰に陣取ってお茶セットをてきぱきと出し、手で一掴みほどの炭を砂地に直に置き火をつけた。その上に直に銀色のティーポットを置いてお茶を沸かし始めた。お茶の葉とミントを煮出したら、砂糖を入れたもう一つのティーポットに注ぎ込む。ここからが重要で、お茶用のグラスにはある程度の泡を作らなければならない。ポットをグラスに交互にお茶を移しながら泡をつくるのだが、なるべく高いところから注いで泡ができるようにする。泡も浮かんでは消える泡ではなく、しっかりグラスの中に残らなければならない。この泡の層がグラスの半分ほどできたら準備OK。お茶も程よい温度になり、 グラスも温まって、おいしいお茶を注いでできあがり。小さいころに、お茶が熱すぎるときには湯飲みどうしでお茶を交互に移してお茶を冷ますと良いのだ、と教わったことを思い出す。 そうすると湯飲みも温まってよりお茶が美味しく飲めるのだと。ラハマさんが、おいしいお茶を作るために大切なこと3つを教えてくれた。炭火を使うこと、じっくり時間をかけること、それから人々が集うこと、なのだそうだ。ティータイムはモーリタニアの人々の生活の中でとても重要な役割を果たしているのだ。

幹線道路から少し入ると、そこには砂漠が広がっている

先述の英国人作家ハドソン氏は、砂漠を1週間歩いて旅した際に、この一杯の甘苦いミント・ティーが、どれだけの水よりも喉を潤してくれた、と記述している。確かにその味はお茶キャンディーのようで、水分とともにカロリー補給もしてくれ、カフェインも手伝ってか、喉ばかりでなく、暑さと乾燥で(そのせいだけではないかもしれないが)私のぼんやりした頭もシャキーン!とする。この国の気候で暮らすには無くてはならないものであることが分かるような気がする。

お茶の後は砂漠を少し散歩して帰路に着いた。砂漠トリップというよりはお茶トリップという感じだったが、これからしばらく滞在することになるこの国をもっと旅してみたくなる経験となった。

帰途で動物園、と呼ばれる一般開放されている個人の庭を一巡りした。ダチョウやクジャク、リクガメやアヒルなどがたくさんいる。こんな砂漠の真ん中によく造ったものだ。しばし緑の中で熱さを忘れて楽しんだ。

*1  Facebook “Mauritanie et culture”より
https://web.facebook.com/MAURITANIEN/photos/a.265977093551501/673863076096232/?type=1&theater

*2  “Travels in Mauritania” (1990) by Peter Hudson
https://www.goodreads.com/book/show/6532983-travels-in-mauritania

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季節の変わり目、砂嵐

季節の変わり目には天候が一荒れするもの。日本でも春の訪れは春雷や春一番などが教えてくれる。

ここモーリタニアでも季節の変わり目には砂嵐がやってくる。サハラ砂漠の砂を巻き上げて吹いてくるこの風をハルマッタン(Harmattan)と呼び、ハルマッタンがやってくると砂塵で空がかすみ、細かい砂塵が家の中に窓を閉めていても入ってくる。基本的には乾季に起こる風らしいが、ヌアクショットにいる限りは、冬(涼しめ)の間はわりとすっきりしており、ここ一か月ほどになってハルマッタンが砂を巻き上げてきている。(写真)

自宅前からみた冬場の空と
サウジ・モスク塔
ハルマッタンの日はサウジ・モスク塔もかなりかすんでいる

こちらに長く住む人によれば、8月を過ぎると一ハルマッタン毎に涼しくなるのだという。この季節(3月)のハルマッタンは確かに一度吹く度に日中の熱さが増してきているようだ。

少々調べたところ、日本の俳句でも砂嵐は春の季語のようだ。そういえば、子どものころ、春先になると、空が黄色っぽくかすむことがあり、あれは中国大陸砂漠の砂が巻き上がってやってくる黄沙現象なのだと教えられた記憶がある。そんなに遠くから風に乗ってくるものなのかと、見知らぬ遠い砂漠を想像したものだ。

とはいえ、昨今は都市環境の悪化で空気汚染値がメディアでも発表されるようになった。空気汚染は産業排気などの化学物質だけではなく、このような自然の砂塵もカウントされる。 実際、昨年隣国のセネガルではハルマッタンによる大気汚染警告が在セネガル日本大使館から出されている。 ここヌアクショットでもハルマッタンのひどい日に日中買い物に外出しただけでも喉の痛みなどが感じられる。こちらの女性のように、体も頭も鼻や口まで覆っていないとこの砂塵は避けようがない。こういったときに、こちらの人々の服装は実に理にかなっていることが分かる。まこの話は後日するとして。

そんなわけで最近は外出時に必ず頭部にかぶれるような布を一枚持ち歩くようにしている。

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自宅でメシュイ(Mechoui)

1月は北半球のモーリタニアも冬。アフリカ大陸といえど、朝の気温は10度台まで下がり、フリースの上着を着るくらいの体感気温になる。

今朝の気温は15度。日中は30度近くまで上がるので日本でいうと暖かい春先のような気候だ。家の庭ではレモンの花が咲いている。近くの八百屋さんでもオレンジやミカンがたくさん出され、イチゴも出るようになった。さてそんな中、先日は我が家に主人のオフィスの人たちを招いてパーティを開いた。こちらのパーティでごちそうといえば羊の丸焼き、メシュイ(Mechoui *1)。スタッフのデチエさんが陣頭指揮を執って、ご本人の出身地ダル・エル・バルカ(Dar El Barka*2) のメシュイが我が家の庭先で調理されることになった。

大きな麻袋に薪炭とお肉、両端が鋭く削られた長さ1メートルほどの串用枝木10本ほどを携えてメシュイ職人がやってきた。まずは調理場の支度から開始。この日は風が強く砂が吹きあがってきたので、周辺にたっぷり水を撒いて、1メートル四方に浅めの穴を掘った。

調理場の整備から調理開始まで。3-4時間かけてじっくり調理する

次は炭に火をつけて焼き場の準備をしながら、こぶし大の岩塩をすりつぶし、この塩をお肉にまんべんなく擦りこむ。あとはアカシアの串木をお肉に通して、準備万端。炭火が安定してきたら、串を火の周りにさしてモーリタニア式炉端焼きの始まり。完全にお肉に火が通るまで3-4時間かかる。この間職人さんは焼け具合を見ながらお肉を裏返してむらなく焼けるようにじっくりと調理に取り組んでいる。

お肉を串刺し中
炉端焼きの開始。
調理開始2時間後。。まだもう少しかかりそう

日も暮れて午後7時ごろになるとお祈りを済ませた人々がぼちぼち参集してきた。全員そろったのは午後8時も過ぎてから。1時間くらい遅れてくるのはよくあること。

調理開始4時間後。あとは食べるのを待つばかり

皆がサラダやクスクスを持ち寄って会食が始まった。クスクスは、パンやごはんの感覚に近く、通常メシュイにはクスクスが主食として食べられる。

この後音楽隊もやってきて、皆で楽しく食べて踊って夜が更けていった。大量に残ったお肉とクスクスは手伝ってくれたアミナタや守衛さんにももちろんおすそ分け。それでも大量にあったので、半分は冷凍、半分は1週間かけて私がお昼ごはんに食べることになったのであった。。。

*1 Mechoui: https://en.wikipedia.org/wiki/M%C3%A9choui

*2 Dar El Barka : http://trip-suggest.com/mauritania/brakna/dar-el-barka/

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ヌアクショット民芸・工芸品村(クラフト・ビレッジ)

以前タンザニアやガーナに住んでいた時は、訪問客や休暇帰国前のお土産探しに工芸品村によく行ったものだった。ここヌアクショットにもモーリタニアみやげを製作・販売している民芸品村がある。

旧空港の脇にある大きな交差点、カルフール・マドリッドから少し南下したところにクラフト・ビレッジ(La foire artisanale )はある。外からはほとんど分からないが、大きな建物の裏に回ると、ハイマ(モーリタニア式テント)の中では女性が布を売っていたり、ラクダの背中に乗るためのカーペットなどが並んでいる。建物の中に入ると、ヤギ革・ラクダ革製品やそれら動物の毛織物、天然の石を使ったネックレスなどが展示してある。

我々はかねてからモーリタニア式のミント・ティーを楽しむために買おうと思っていた、お茶サーバーセットを購入した。銀の楕円形トレーに同じく銀のティー・ポット、これにガラスのショットグラス大のティーカップがお決まりのセットだ。きれいにペイントされたものがあったので、好みの柄を選んだ。

tea set

建物の外では、いくつかの小屋で職人さんたちがアクセサリーや小箱の装飾を黙々と作っている。その前の軒下で作品が並べられ販売されている。もちろん値札はついていないので先方の言い値を元に交渉して買い取り金額が決まる。

workers1職人さんのアトリエ小屋(「写真お断り」と言われたので遠目から)

shop1アトリエの外では展示販売

今回購入したのはこのブレスレット(バングル)のみ。細かいところも割ときちんとできていて、金銀入っているので他のアクセサリーとも合わせやすい。

arm bangle2

こういった黒檀彫刻も製作されている。作業も結構細かく、デザインも面白い。

curving 1

 

shop2

木の下でのんびりとした感じで営業中。

彼らは外国人観光客がもっぱらの商売相手なので、こうした装飾品は値段があってないようなもの。他方、こちらの日常砂漠生活に使われるラクダ革のクッションなどはおそらく外国人には倍以上(もしくは何倍も)の価格で売っているようである。

 

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モーリタニア独立記念日

1960年11月28日、モーリタニアは旧宗主国フランスからの独立を正式に宣言した。この日は国民の休日となっている。

子どもが通うアメリカン・スクールでは前日11月27日をモーリタニア・デーとしてイベントが開催された。各クラスでモーリタニアに関する出し物が行われ、保護者や学校関係者はプログラムを片手に興味関心のあるイベントを覗くことができる。モーリタニアをテーマとした文化祭のようなものだ。

girlsモーリタニアの女性が纏うメラファで迎えてくれた女の子たち。彼女たちも普段はTシャツ・ジーンズなので新鮮に映る。

幼稚園ではモーリタニアの紙粘土動物、1-2年生は食べ物の紹介(味見もできる)、3-4年生は伝統音楽と太鼓にのったダンス、5-6年生は観光客向けモーリタニア案内など生徒が中心となって出し物を披露してくれる。中学になるとよりインタラクティブでモーリタニア・トリビアと称したモーリタニアに関するクイズ、さらに上級生になるとモーリタニアの歴史や独立の動きなどについて彼らが調査・収集した情報を説明してくれ質問にも答えてくれる。

5 6 gこちらは5-6年生。モーリタニアの歴代大統領について説明中。男子もこの日のためにブウブウ(上っ張り)やターバンを着用。

さらに建物の外では伝統工芸品の販売や各部族の伝統音楽が披露されていた。またモーリタニア式テント・ハイマの下では、羊の丸焼き(メシュイméchoui)やクスクス(couscous)といったモーリタニアで伝統的に食される料理がふるまわれ、訪れる側にも楽しく、またモーリタニア度満点の日となった。もっとモーリタニアに関する本を読んだり各地を訪問したりしてモーリタニアについて理解を深めたいという気持ちにさせてくれた。

concert 1ウォロフ民族音楽が演奏される中、モーリタニアの国旗を振って走る生徒。

 

 

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コンテナが着いた日

10月25日木曜、我々のヌアクショット生活にとっても重要な日となった。
なぜかというと、、↓
container
家財道具一切合切を積んだコンテナが、ついにはるばるタイランドから到着した!
バンコクで荷物を見送ったのが8月21日だったのでDoor to Doorで2か月少々かかった。

ヌアクショットに到着してから3日後に住む家を決めてしまい、5日後にはマットレスだけ買って住み始め、この二か月間ほとんど家具や食器なしで過ごしてきた。物が少ない生活も活動が簡素化されてそれはそれでいいが、やはり自分の家に住んでいるような気がしないし、必要な物でも今海を渡ってこちらに来ている物を新たに買ってしまうわけにはいかない、もう少しの我慢、と思うことが重なるとちょっと気疲れもするものだ。というわけでホッと一安心。

荷物を運ぶのは運送会社のスタッフがやってくれるが、荷解きは自分の仕事。腰の痛みもなんとかバンコクから持ってきたアンメルツを使いながら乗り切った。

バンコクでは家具付きのタウンハウスに住んでいたため、ベッドも本棚も衣服クローゼットも買わずに済んでいた。ところがこちらでは家具(一切)なしが通常で、自分で持ってこなければ、限られたチョイスから比較的高い値段で買うことになる。そこで我々はこの2か月の間、荷物が着いたら必要になりそうな家具を地元の職人さんに依頼して前もっていくつか作ってもらっていた。多少時間はかかるが、買うより安いし、何といっても自分の好きなデザインの写真などを見せるとコピーして作ってくれる。
ちょっと遊び心のあるものも試してみた。
これとか。
library
なぜか二つある入口の一つを閉鎖して、子どもの図書スペースを作った。本棚はゲームのテトリスに出てくるブロックを大きくしたものを職人さんに作ってもらい、ちょっとポップな感じに。

バンコクでボランティアをしていたソップモエアーツのランナーもこのように。
sma

ロランが15年前にカンボジアでオーダーしたガラス張りのダイニングテーブルも無事に到着。。
table

さてやっと腰の落ち着いた生活ができそうな気がしてきた。