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バン・ダルガン(Banc d’Arguin)自然国立公園とヌアディブ(Nuadhibou)への旅(3)

よく見たら前回のブログアップから2か月近くたっている。バン・ダルガンとヌアディブへの旅もすっかり遠い記憶になってきた。この間、子どもの学校休暇を活用して再度セネガルへの陸路旅行を試みたり、モーリタニア人家族に招待されてモーリタニア式テントで週末を過ごしたり、魚釣りに出かけて浜辺でテント・キャンプをしたり、実はかなりイベントで盛沢山だった。イベントの最中は、ブログに書こう、と写真を撮ったり書くこと考えたりするのだが、「バン・ダルガン国立公園とヌアディブのシリーズが終わってないし。。シリーズ終わらせるのが先だなー」と思っているうちに我が家のインターネット速度が著しくダウンした。7月から10月はこちらでも気温と湿度が上がって相当暑い時期になる。そうするとヌアクショット市民が皆こぞってエアコンを使うので、市内の電力供給量が需要に追い付かなくなるとの説明を受けた。よく停電するし、その度に、2メガ以上の資料もダウンロードできないただでさえ微弱なネット・シグナルが完全にダウンするということが続いた。という言い訳はこの辺にして。。

今日も暑い!でも夜になればネット速度は改善する。今日こそは2か月ごしのシリーズを終えてしまおう!と決心した。というわけで、怒る人も文句を言う人もおそらくほとんどいないと思うが、旅の締めくくり、ヌアディブについて。実は写真もどこにいったか分からない状態なので、ヌアディブのスポット的な紹介まで。

ヌアディブは、細い半島の先にある町で、漁業が盛んな上に、東北に500キロほど離れた町、ズエラットとの間を、ズエラットで採取された鉱物を毎日運搬する列車が走っている。列車は200両ほどの車両が繋がれていて、全長約3キロメートル(!)。これは世界最長の列車に数えられるそう。さらに最近はヌアディブ沖にガス油田が発見されており、ヌアディブはモーリタニアの経済の中心ともいえる町なのである。

ヌアディブーズエラット間を走る列車。BBCでも紹介された(こちら)。

ヌアディブに近づいてくると、左手に見えてくるのが、Baie d’etoileという名の、真ん中にキノコみたいな形の岩が突き出ている湾だ。風がある時期はカイト・サーフをする外国人がちらほら。

Baie d’Etoile

さらに、この半島の先の方に行くと、Cap Blancという岬があり、ヌアディブ港に光をともす灯台が立っている。この灯台、1910年に当時のフランス政府によって建設された。一応観光客も案内してくれるが、ここにたどり着く道路はなく、国道2号線の終点から先は、火星の地上探査でもしてるような白い砂地を四駆で進まなければならない。一応入口はきちんとあり、しばらく待っていると灯台の番人がやってくる。灯台の上るために一人150ウギア払う。こちらの物価にしては高いような。。登って見える風景の西側はすでに西サハラ。特に警備もなく歩いて国境通過しても追いかける人すらいないだろう。灯台の傍らには何十年もほったらかされたブルドーザーがあったり、忘れ去られた場所のよう。だが、灯台が見下ろす崖下の海は、隠れたサーフスポットとして知られているらしく、その海中は絶滅危惧種のモンクアザラシの住処になっているという。

また我々は行かなかったが、使われなくなった船が集まっている船のお墓、と呼ばれるスポットも観光スポットとなっているらしい。

ヌアディブで泊まったホテルは、Le cansado。町の中心部から離れている割には大きな建物なので、いろいろと機能するのか心配だったが、シービューの部屋を案内され、快適に過ごした。誰かが「ここはモーリタニアのベスト・ホテル!」と言っているのが聞こえたので、知る人ぞ知るホテルなのであろう。ちなみにエレベーターはない。

そして翌日はまた5時間かけてヌアクショットにたどり着いたのであった。今回はあまりヌアディブで時間がなかったので、またぜひゆっくり来たい。

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バン・ダルガン(Banc d’Arguin)自然国立公園とヌアディブ(Nouadhibou)への旅(2)

2日目の朝は、7時前に目が覚めた。薄曇りの空が広がるタファリット岬を見ながらキャンプ用ガスコンロでコーヒーを淹れていると、シディさんが草鞋みたいな大きさの、焼き立てほかほかのパンを持ってきてくれた。キャンプ場のとなりで水やちょっとしたものを売っている人たちがいて、朝はこうしてパンを焼いているそうだ。素朴な味で結構おいしい。本日のプログラムは、午前中から昼過ぎまで半日魚釣り・ボートトリップ、その後いったんシャミの町に出てお肉を買い、夕方は砂丘の上でメシュイ、となっている。車に荷物を積んだ後、まだ時間があったので、シディさんがお茶を淹れる。ミント・ティーの甘苦い味は一日の活力を与えてくれる。

前日と同じ場所を通りながらイウィクに着いた。しばらく待っていると、村の男性が、その辺の木材の寄せ集めのようなはしごを担いできた。すでに我々のボートには3-4人の船員が乗り込んでいた。我々もはしごを伝って乗り込んで、さあ出奔。帆が勢いよく巻き降ろされ、ロープで帆を張る。風に帆がふくらんで船はゆっくりと村を離れた。バン・ダルガン公園内では、環境保全のためにモーターの使用が禁止されている。なのでこの近海で行われる小規模の漁業は全て帆船。マスト1本だけの小型帆船だけだ。水面の音を聞きながらまさに滑るように船が進んでいく。

1時間ほど乗っていると、正面に岸が見えてきた。他の外国人観光客を乗せた帆船が浅瀬に停泊している。これも同じく環境保護を目的として、調査目的以外では人は岸に上がってはいけないことになっている。彼らが浅瀬で遊んでいるその向こうには、ペリカンらしき群れが見える。双眼鏡で見るとさらに遠くにはフラミンゴが群れている。2-300羽は優に超えているだろう。時々波を描くように群れで舞い上がる。12月になると遠くロシアから北極を超えて越冬しに飛来してくる鳥がさらに増え、最大数は数万羽になると言われている。この時期でもかなり見ごたえがある。12月に再度来てみてみたい。

さて目的の島に到着した。ここも上陸はできない。周辺の浅瀬で泳いでクールダウンした後、釣りざおを垂らしてのんびりと魚が釣れるのを待った。20分ほどで息子が最初の一匹をゲット。そのあと、ぼちぼちかかって1時間弱で5匹ほどが釣れた。家族で初めて釣りに挑戦した我々としては上出来だ。その場で内臓だけ処理し、翌日のお昼にバーベキューにすることにした。

そしてイウィクへの帰途、シディさんが遠くを指さして言った。「いるかだ!」皆興奮してボートから身を乗り出す。舟から見える数は多くないが、魚の群れを追っているらしく、ときどき背びれ付きの丸い背中が海から飛び出してくる。なかなかシャッターのタイミングがつかめない。いるかに追われている魚も跳ねながら逃げる。タンザニアのサファリで、ライオンがガゼルを追い詰めるところを見ているようなもので、追われている方にしてみれば、見世物になって迷惑な話かもしれない。だがいるかのこうした野生の姿を見ることはなかなかないものだ。シディさんは新旧モーリタニア大統領の名前とか呼んでいる。。逃げたら困るんですが。

さてその後いったんシャミの町に戻り、メシュイ用のお肉を購入。夕食は砂丘でメシュイにしよう、というシディさんの提案だった。また砂漠を走る。私にとっては行けども行けども同じ風景だが、シディさんは小さいときから数えきれないほど往来していて、ちょっとした植物の移り変わりなどが道しるべとなるらしい。3-40分ほどすると、むき出しになった肌のような砂丘が見えてきた。見晴らしのいいところまで車で登って、持参した簡易バーベキューセットに炭で火をおこす。さっそくメシュイの調理が始まった。メシュイにはよく玉ねぎが一緒に調理される。これにシャミの町で買ったフランスパンが主食だ。もちろん食事の前後にはミント・ティーが淹れられる。

砂漠の向こうにぼんやりと遠く沈みゆく夕日を見ながら、我々以外に生きて動いている物ははいないような感覚になった。そして我々の食事は、シンプルだが、一生に一度くらいの特別な食事に思われた。メシュイを食べ終わったころにはすっかり日も暮れ、暗闇の中をイウィクへ戻る。夜間運転もシディさんの眼だけが頼りだ。そしていつの間にかイウィクへ戻り着き、宿であるコミュニティ・キャンプ場のバンガローに落ち着いた。シディさんは外で火を焚いてその周りにござを敷き、ミント・ティーを淹れ始めた。主人はござの上にマットレスをおいて夜空の下で寝るという。私もしばらく海からの風に吹かれながら寝る前のミント・ティーを楽しんで眠りについた。

翌日はモーリタニア第二の都市、ヌアディブだ。

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バン・ダルガン(Banc d’Arguin)自然国立公園とヌアディブ(Nouadhibou)への旅(1)

イスラム教の年中行事の中でも大きな犠牲祭が年に一度やってくる。モーリタニアの人々は家族とともに過ごし、ささげられた羊の丸焼き(つまりメシュイ)を食べることが慣例となっている。地方の家族に生きた羊を買って帰るのが最高のおみやげだ。それでも一頭が5-6万ウギア(約1,200USD)はするそうで、皆が買えるわけではないようだ。このころになると街頭広告でも「羊があたる」という販売促進が行われるくらいなのだ。

「羊があたる」という街頭広告

公式には月曜と火曜が犠牲祭となったが、週末を含めると4連休になるので、この休みを利用して、モーリタニア国内でも、飛来野鳥で知られる海岸沿い北部のバン・ダルガン国立公園とモーリタニア第二の都市で漁業で栄えるヌアディブへ1泊の予定で出かけることにした。

今回行くようなバン・ダルガン公園のタファリット岬などは、在住外国人が良く休暇で訪れるところであるとはいえ、国道2号線(ヌアディブ・ロード)を外れて砂漠を運転し、文字通り道なき道を進まなければたどりつかないためガイドの傭上は必須。在住年数の長い人々に聞き、バン・ダルガン保護協会のシディさんにガイドをお願いすることにした。過去に日本大使のガイドをしたこともあるベテランのガイドだ。

当日は午前7時に出発。タファリット岬にはテントがあり水やパンも手に入るが、基本的には全て自前でやることを前提としてほしい、ということだったので、完全に野外キャンプ装備で臨む。シディさんはリュック一つとお茶セットを持ってきた。モーリタニアではお茶セットを持たずして遠出してならないのだ。

国道2号線をひたすら北に向けて走り続けることおよそ3時間。道のレストラン、ガルドゥノー(Gare de Nord)でトイレ休憩。トイレといってもきれいに管理されているわけではないので、トイレ室内に入るのにも覚悟がいる。これだったら砂漠で用を足した方がまだましというくらいに、化石化しつつある排泄物などが転がっていて、心が休まらない。ミント・ティーで何とか気を取り直し、旅を続ける。しばらくするとシャミ(Chami)という町に着く。ヌアクショットからヌアディブのちょうど中間に位置していて、給油やちょっとした買い物ができる。

さらに15分ほど進んだころ、シディさんが「左に曲がって」と言う。左に広がるのは砂漠。どこから入るのか?どこでもいいから左、というのだ。ここから入ると10キロくらい走路が短縮できる、というのでとにかく舗装道路の路肩も超えて、左手の砂漠に突っ込んでいく。砂漠の運転にはかなり経験が必要で、いくら四輪駆動でもスピードやギアが適度でないとすぐに止まってしまう。シディさんは自分で砂漠も運転するのに慣れていて、「ここはセカンド、ここからはサード」と指示してくれる。それでもタイヤが砂につかまる。途中からシディさんに運転をお願いしてオフロード・ドライブを楽しむことにした。それでも時々砂丘を登坂するときは目をつぶって「止まりませんように」と祈ってしまうのだった。

そして1時間強の砂漠ドライブを経て辿り着いたタファリット岬は、巨大な丸い岩を先端とし、北側に穏やかなビーチが続く。ビーチに沿って岩を見上げるようにモロッコ式テントとモーリタニア式テントのハイマがいくつか設置されている。我々は一番岩から離れた小さめのハイマを割り当てられた。荷物を降ろして、シディさんは、さっそくお茶淹れを始めた。旅先に到着してまずはお茶でも、というのは日本でも同じ感覚だ。甘いミント・ティーを飲んでいると、テントの外から声がして、シディさんの知り合いの男性がテントに入ってきた。二人はひとしきり握手してハグして挨拶して、男性は座って我々のお茶に加わった。そうだ、おいしくお茶を淹れる秘訣の一つは「人々が集うこと」なのだ。おいしくお茶を飲んでしばらく談笑ののち、我々は海水浴を楽しんだ。それから再び車に乗って、翌日のボートを予約しに隣村のイウィク(Iwik)まで行った。

イウィクまでの道のりの途中、砂漠のバラ(https://ja.wikipedia.org/wiki/砂漠のバラ)と呼ばれる、砂の中の鉱物が結晶化してできる石を見せてくれた。いわれなければ全く気付かずに通り過ぎてしまう、砂に隠れるように咲いている花の形をした石だ。許可を得て記念に小さなものを拾ってきた。

「砂漠のバラ」と呼ばれる結晶石

隣村といっても砂漠をひた走ること30分強、ガイドのシディさんの指示だけが頼りだ。車の轍に沿うこともあれば、外れて進むこともある。「昔はここがヌアクショットに通じる道だったんだ」と途中で説明してくれたが、道ってこの車の轍があるところのことかいな?しばらく進と、砂漠の向こうになにやら標識っぽいものがぽつんと立っている。4方向を指しているが何が書いてあったかは全く見えない。きっとヌアクショットと書いてあったのだろう。西部劇の映画で、荒野の中にぽつねんと立っている道しるべを見た記憶がある。雨風しか通らなさそうで、実は確かに人が通る場所なのだ。

イウィクは小さな漁村で、我々が車から降りると、子どもたちが寄ってじっと我々を見ている。明日の船を予約した後、借りた釣り竿をもって、村のはずれに釣りに出かけた。シディさんがえさ用のイワシを釣り針につけてくれた。小1時間ほどやっているうちに釣れたのは、なまずが5匹ほど(ほとんど海に戻した)とますに似た魚が一匹。この一匹はシディさんがさばいてくれてこの日の夕食になった。以前タイでタイ語の勉強をしていた時に、「一日中釣りをしていておじいさんに怒られた」という例文を読んで、のんびりした田舎で過ごす子供を思い出しておかしくなったと同時に、今の自分にこんな時間の過ごし方ができるだろうか、と思った。イウィクでは、きっとほとんどの子どもたちがそんな時間を過ごしているのだろう。

夕食は、釣った魚と持参した鳥の串焼きをバーベキュー。ゆっくり夜が更けていった。もちろん食事の前後はお茶が入れられたのだった。

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セネガルへの道(2)

サンルイからダカールまでの距離は約250キロ。日本や欧米並みに高速道路が整備されていれば3時間もかからない距離だ。セネガルでも2015年に近郊のDiamniadio(ジャムニャジョ、と読むのか?)からダカールまで32キロの高速道路が開通した。サンルイからこの高速道路入口にたどり着くまでは一般道の国道2号線に沿って走らなければならない。これを含めると目的地のダカール市内ホテルまで4-5時間の道のりになる。舗装道路の状態はモーリタニアに比較して状態は悪くないものの、突然ヤギが飛び出してきたり、スピード制御のためのバンプがあるので、常に高速で運転し続けるわけではなく、運転に気を抜けない。

午前10時、サンルイの町を抜けセネガル川を渡るとすぐに右折して国道2号線を走る。まだセネガル川流域でもあり、東側には湖や自然公園があるため緑は多い。1時間以上走ると、少し乾燥してくるが、まだ木々も多い。20年前に東アフリカでよく見たサバンナの光景だ。小さな村を通り過ぎるときに、一匹のウサギが勢いよく前を横切って行った。お昼も近くなったころ、息子がチェブジェンが食べたい、と言いだした。なるべく長時間の停車を避けて早めにダカール入りしたいため、途中のルガ(Louga)という町でチェブジェンのテイクアウトを探すが、あと1時間は待たないとできないと言われて、次のまちケベメル(Kébémer)まで行ったがやはりそうタイミングよくチェブジェンが見つからない。仕方なくベーカリーでいくつかパンを買って旅路を急ぐ。

ティエス(Thies)という大きめの町を通り過ぎることになっていて、この町周辺にはやたらと大きなスピードバンプが多い。しかも無標識なので気づかずに減速せずに突っ込むと相当揺れて居心地が悪い。助手席の私は目を凝らしてバンプの早期発見に努める。

ティエスを抜けてしばらくすると、高速道路に入る。フランスの大手建設会社が手掛けただけあって、周囲にバオバブの木がなければフランスの高速道路を走っているような気になる。標識などもすべてフランスと同じだ。ただこの30キロほどの高速の途中で、料金所が頻繁にあるため、一気に通過はできない。料金所もレシートくれたりくれなかったり。。

予定よりも早めにダカール市内にたどりついたので、ホテルに行く前に工芸品村に立ち寄ることにした。海岸沿いを運転し、アフリカ・ルネッサンス・モニュメントを通り過ぎる。Marché Soumbédiouneは、ダカール南端の魚市場に隣接している。2009年に開通したというトンネル道路の入り口脇にちらほらと彫刻や絵画が並んでいる。セネガル手工芸品村はこの裏手にある。ラマダン開始直前の金曜だったこともあってか、人出は多くない。小さな店が軒を連ね、立ち止まったり店を覗き込もうとすると、背後からMon ami! と声をかけられて売り込みが始まる。店の裏側では十数名の職人たちが彫刻を製作中だ。乾燥した植物で編まれたセネガル・バスケットは、日本人でも人気があるようだ。私の顔を見ると、半分眠そうな目をしていた女性が、突然立ち上がって目を見開き、「Madame, des paniers!」としゃべりまくり始めた。他にはろうけつ染めやプリントのアフリカ布と、布でできたシャツやパンツ、アクセサリーにオブジェなど本当にいろいろな品物がお土産品として売られている。旅の疲れもあってか、あまり購買欲が出なかったが、バスケットと同じ材料と思われる乾燥した植物で作られた扇を買い求めた。先月息子の学校行事で、今まで作ったことないほどの巻きずしを作った際に、うちわがなかったことを思い出したためだ。布の折り畳み扇子も一緒に勧められて買ってしまった。2500CFA(約5米ドル)なり。そのあと、アンティークの彫刻を買おうかかなり悩んだが、結局決めかねて買わずに村を後にした。

ホテルはNgorビーチにいくつかあるホテルの一つ、La Madraguを予約していた。ビーチフロントだがプールもあって、食べ物もおいしいというレビューに惹かれて予約した。正面入口を抜けると、アーチ状の柱の向こうに見えるNgorの島と午後の光に輝く海から、なんとも涼しい風が吹き抜け、ビーチにいる人々の楽しそうな声も一緒に運ばれてきた。部屋に荷物を降ろして、階下のレストランとプールを通り抜け、人々が集うビーチに出てみた。

まさに芋の子を洗うような人出にびっくり。何かのイベントがあっているのかと思ったが、皆週末のビーチを楽しみに来ている友人や家族連れだった。普段行くヌアクショットのビーチに比較してあまりにも人が多いのが信じられない光景だ。若者は遊園地みたいな感覚でビーチに来ている。そしても誰もアジア人の私に気を留める人はいない。ヌアクショットでは、外国人が良くいくビーチでも、私や息子を珍しそうに眺めてくる人が多いので、やはりアジアは遠いのか、と思っていた。でも同じくアジアから遠くても、ここダカールではアジア人口も多いらしく、特に珍しい生き物ではないようだ。気楽でいいなあ。。しかし、とういうことは!夕食はアジア料理、しかもタイ料理に行くことにした。タイを離れて8か月、時々自宅でも料理しているが、レストランのタイ料理が恋しい。「カノムジーンあるかなあ、、、」と息子。

ダカールに来たので本場のチェブジェンを食べるべきところだが、チェブジェンはヌアクショットでも食べられる!まずはアペリティフを5つ星のラディソン・ブルーのプールバーで。曇りで夕日を見ることはできなかったが、セネガル音楽をバックに贅沢なアーバン・リゾート気分。そして ダカール唯一のタイ料理レストランLe Jardin Thailandais へ。インテリアがかなりタイだ。カノムジーンに ラープ、グリーンカレーもおいしかった。ダカール、いいところ!

翌日は午前中はお買い物。普段のヌアクショット生活であったらいいものリストを持って、フランス系のスーパーやスポーツショップへ。大型スーパーマーケットでは、家の中で蚊が良くいるので電気の殺虫デバイス、そして、 ヌアクショットでは見つからない パルメザンチーズを1.5キロ購入。スポーツショップでは、普段の運動不足解消のためにエクササイズ用の飛び縄やトーニング・バンドなどを購入。ヌアクショットには、満足にワークアウトができるジムも無いのだ。そして午後は、予約していたサーフィンのレッスンのために、セネガルのサーフィンのメッカ、ヨフ・ビーチへ!Malika Surf Campでグループ・レッスンに息子と参加。いつもは7.6フィートを使っているが、8フィートを貸してくれた。おかげでいつものさざ波乗りも楽しく過ごすことができ、カメラマンもたくさん写真をとってくれた。夕食はメキシカンへ。メキシカン食の材料はヌアクショットのスーパーでも手に入るが、レストランの方が種類が楽しめるし、何といっても待つだけ。ありがたい。

そして最終日は、ホテルの正面に見えるNgor島への半日旅行。Ngorビーチからスピードボートで10分もかからずに到着。昼食の後は島を歩いてぐるりと一周。腹ごなしにちょうどいい距離だ。最後にたどりついたのは、地元の人でにぎわう小さなビーチ。ここもまた対岸のビーチと同じく若者や家族連れでごった返していた。途中でアート・ビレッジがあったのでついにガラススクリーンの小さな絵を一枚購入。アフリカンな色とデザインが気に入った。

2000年から2003年までの間、ガーナで仕事をしていたのだが、そのころワッド政権がセネガルで誕生したころだった。ワッド氏は、法と経済で博士号を持つインテリの政治家だけあって国際機関や外交団との強気なやり取りが報じられ、 NEPAD(アフリカ開発のための新パートナーシップ) を立ち上げたりと、とにかくカリスマ性の強い人物であった。汚職などの批判は後を絶たないが、セネガルを西アフリカ、少なくとも仏語圏アフリカの中心的存在にしてきたのはやはり彼の貢献でもあるだろう。私にとってはワッド大統領のイメージがあったからこそ、セネガルの首都ダカールに来てその今を見たかったのだ。初日に工芸品村でワッド元大統領の絵を見たときに、ああそうだ、私はこの人物の存在を確かめたかったのだ、と思った。セネガルの人々にとっては、汚名の高い過去の大統領に過ぎないのだろうか。それともやはり国のリーダーシップのアイコン的な存在で居続けているのだろうか。それとも単に外国人受けするから彼の絵があるのか。 とにかく、ダカールに来てその発展ぶりを見ただけで結構満足だった。

ワッド元セネガル大統領

翌日は午前6時にホテルを出発して一路ヌアクショットへ。ちょうどラマダンに入ったこともあってか、国境通過も30分以内とかなりスピーディーだった。また自然公園のイノシシなどを横目に見ながら疾走。ヌアクショットに帰り着いたのは、午後5時。11時間の道のりだった。7-8時間というのはどうも私の誤解だったらしい。。全路の運転をしてくれた主人に感謝。その後1週間この旅の疲れでぐったりしていたのだった。。(ブログに時差があることの言い訳か。。)

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半日砂漠トリップ

ヌアクショットは首都といえど、中心部から車で20分も離れれば、住宅や建物もまばらになる。住み始めて8か月ほどになるが、まだあまり国内を旅していない。これには色々と理由があるが、ぜひ近場でも砂漠トリップを体験したい、ということで、現地ガイドを見つけ、市内から半日でできる砂漠トリップに行ってみた。

午前10時半、ガイドのラハマさん(だったかな)が白いブウブウを身に纏いお茶セットを抱えてやって来た。ついに砂漠でのミント・ティーが体験できるようだ。 こちらのお茶は、日本のほっと一息ティー・タイム、よりももっとモーリタニアの人々の生活に存在感がある。一説によれば、このお茶(テ・ア・ラ・マント Thé à la menthe: 緑茶とミントを煮出した甘いお茶)は、19世紀半ばにモロッコから伝わって来たもので、一部エリートの人々の間でのみ親しまれたが、独立後により一般的に飲まれるようになったとのことだ。(*1)当初は成人男性のみのものだったが、現在では女性や子どもにも行き渡るようになった。その淹れ方は、前述のような経緯もあってか、片手間で入れるのではなく、きちんとお茶入れの儀式に従事しなくてはならない。まだ遭遇したことはないが、車での長時間の移動の際にもお茶の時間になると、道路わきに車を止めてティー・タイムが行われるそうだ。

たらいでミントを売る青年

ミントは新鮮でなくてはならない。市内から国の西南部マリ国境に向かう国道3号線に入るところで、ミントを購入する。皆、国道に入る前にミントを買い求めるのだろう、交差点では青年たちがミントを大きなたらいに抱えて売っている。たいてい1回分のミントが一束になっており、10ウギア(35日本円くらい)/束で買える。これを1束窓越しに買って、一路郊外のワダナガ(Ouad Naga)へ。

売られてゆくラクダ

旅に備えて車の燃料補給にガソリンスタンドに立ち寄った。正面から、かなり年期の入った、ぼこぼこで塗装もはげたトラックがやってきた。その荷台にはラクダが一頭座り込んでいる。膝を折った状態で四肢を縛られていた。この先にあるラクダ市場から購入されてきたとのこと。この国ではラクダは貴重な財産となる。

市内から30キロほどのところで、警察のチェックポイントを通過。国内小旅行といえどパスポートを忘れてはならない。政府車両及び外交車両以外は全て身分確認される。ガイドさんも一緒なので、事情説明してくれて問題なく通過。こういったチェックポイントが国内に点在している。

そして、先ほどのラクダが荷台に積まれたと思われるラクダ市場を通過。ラクダ、らくだ、駱駝、、、売られる身であることを知ってか知らずかラクダたちはのんびりとたたずんでいる。

ラクダ市場のラクダたち

さて目的地のワダナガに到着。約1時間半のみちのりだった。ワダナガとは、「水」と「低地」という意味だそうだ(何語だったか不明)。確かに町の両側に丘陵があり土地は乾いているがところどころ沢の跡のような窪地がある。

腹が減っては何とやらで、まずはランチ!そしてランチはもちろんメシュイ。メシュイ・オーブンのある所でメシュイをオーダー。簡易食堂みたいなところで、表にはおじ様方がござに座ってお茶を飲んでおられ、我々は奥の部屋に通してもらう。部屋といってもメシュイ屋さんの住居で、四畳半くらいの一部屋のみのコンクリートでできたスペースだ。家具もほとんど無く、小さくてほこりをかぶったテレビと子供用の服が2-3枚無造作に置いてあるのみ。床にはカーペット。相当古くてほこりっぽいので裸足になるのを躊躇してしまうがやはり人様のおうちなので靴は脱いでお邪魔する。ハエもたくさんやってくる。外の気温も30度はあるだろうがこの部屋の中にいるには湿気がないのが救いだ。家族と思われる小さな子どもやヤギが我々の様子をのぞきに来る。ラハマさんがパンを買ってきてくれた。フランス起源のバゲットは、他のフランス語圏と同じく、モーリタニアの主食の一つ。メシュイを待つこと、40分以上。オーダーしてからお肉を買ってきて焼き始めるので、まあこのくらいの時間はかかる。それにしてもお腹が減ってきたので、パンをかじって待つ。そうするうちに大きな焼けた肉の塊がやってきた。メシュイ・タイム! 

ヤギ皮の水入れがメシュイ屋の表にあった。

日本のなべ料理のなべ奉行よろしく、メシュイにはメシュイを切り取って人々に分けるメシュイ奉行がいるのが通常だ。今回はもちろんラハマさんが奉行となって切り分けてくれる。切ってもらったお肉一切れと一口サイズにちぎったパンを手づかみで一緒に口に入れる。羊肉の脂身とパンの塩分が絡んでなかなかおいしい。。おいしいが、肉とパンだけかあ、、と思いながらゆっくり噛んでいると、周りは皆おいしそうにパクパクと食べてしまった。80年代にモーリタニアを旅した英国人作家ピーター・ハドソンによれば、もっと国内奥地では、1頭のヤギのメシュイで家族が2-3週間は食べ続けられるということなので、この簡素な食事もありがたい食事なのだ。。。と、考えているうちにフィンガーウォッシュのお水と粉石けんKlinがでてきた。(*2)この粉石けんはおそらく衣類用洗濯洗剤なのだが、価格的にこちらの方がお手頃だからなのか、フィンガーウォッシュはKlinでの洗浄が田舎では一般的だそうだ。

これで手を洗う

さて、お勘定を終えて、やっと砂漠へ。とはいっても幹線道路から外れて200メートルも進もうものなら目の前はオレンジ色の砂漠なので、5分ほど進んでお茶づくりによさそうなスポットを見つけて車を停めた。ラハマさんは木陰に陣取ってお茶セットをてきぱきと出し、手で一掴みほどの炭を砂地に直に置き火をつけた。その上に直に銀色のティーポットを置いてお茶を沸かし始めた。お茶の葉とミントを煮出したら、砂糖を入れたもう一つのティーポットに注ぎ込む。ここからが重要で、お茶用のグラスにはある程度の泡を作らなければならない。ポットをグラスに交互にお茶を移しながら泡をつくるのだが、なるべく高いところから注いで泡ができるようにする。泡も浮かんでは消える泡ではなく、しっかりグラスの中に残らなければならない。この泡の層がグラスの半分ほどできたら準備OK。お茶も程よい温度になり、 グラスも温まって、おいしいお茶を注いでできあがり。小さいころに、お茶が熱すぎるときには湯飲みどうしでお茶を交互に移してお茶を冷ますと良いのだ、と教わったことを思い出す。 そうすると湯飲みも温まってよりお茶が美味しく飲めるのだと。ラハマさんが、おいしいお茶を作るために大切なこと3つを教えてくれた。炭火を使うこと、じっくり時間をかけること、それから人々が集うこと、なのだそうだ。ティータイムはモーリタニアの人々の生活の中でとても重要な役割を果たしているのだ。

幹線道路から少し入ると、そこには砂漠が広がっている

先述の英国人作家ハドソン氏は、砂漠を1週間歩いて旅した際に、この一杯の甘苦いミント・ティーが、どれだけの水よりも喉を潤してくれた、と記述している。確かにその味はお茶キャンディーのようで、水分とともにカロリー補給もしてくれ、カフェインも手伝ってか、喉ばかりでなく、暑さと乾燥で(そのせいだけではないかもしれないが)私のぼんやりした頭もシャキーン!とする。この国の気候で暮らすには無くてはならないものであることが分かるような気がする。

お茶の後は砂漠を少し散歩して帰路に着いた。砂漠トリップというよりはお茶トリップという感じだったが、これからしばらく滞在することになるこの国をもっと旅してみたくなる経験となった。

帰途で動物園、と呼ばれる一般開放されている個人の庭を一巡りした。ダチョウやクジャク、リクガメやアヒルなどがたくさんいる。こんな砂漠の真ん中によく造ったものだ。しばし緑の中で熱さを忘れて楽しんだ。

*1  Facebook “Mauritanie et culture”より
https://web.facebook.com/MAURITANIEN/photos/a.265977093551501/673863076096232/?type=1&theater

*2  “Travels in Mauritania” (1990) by Peter Hudson
https://www.goodreads.com/book/show/6532983-travels-in-mauritania

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季節の変わり目、砂嵐

季節の変わり目には天候が一荒れするもの。日本でも春の訪れは春雷や春一番などが教えてくれる。

ここモーリタニアでも季節の変わり目には砂嵐がやってくる。サハラ砂漠の砂を巻き上げて吹いてくるこの風をハルマッタン(Harmattan)と呼び、ハルマッタンがやってくると砂塵で空がかすみ、細かい砂塵が家の中に窓を閉めていても入ってくる。基本的には乾季に起こる風らしいが、ヌアクショットにいる限りは、冬(涼しめ)の間はわりとすっきりしており、ここ一か月ほどになってハルマッタンが砂を巻き上げてきている。(写真)

自宅前からみた冬場の空と
サウジ・モスク塔
ハルマッタンの日はサウジ・モスク塔もかなりかすんでいる

こちらに長く住む人によれば、8月を過ぎると一ハルマッタン毎に涼しくなるのだという。この季節(3月)のハルマッタンは確かに一度吹く度に日中の熱さが増してきているようだ。

少々調べたところ、日本の俳句でも砂嵐は春の季語のようだ。そういえば、子どものころ、春先になると、空が黄色っぽくかすむことがあり、あれは中国大陸砂漠の砂が巻き上がってやってくる黄沙現象なのだと教えられた記憶がある。そんなに遠くから風に乗ってくるものなのかと、見知らぬ遠い砂漠を想像したものだ。

とはいえ、昨今は都市環境の悪化で空気汚染値がメディアでも発表されるようになった。空気汚染は産業排気などの化学物質だけではなく、このような自然の砂塵もカウントされる。 実際、昨年隣国のセネガルではハルマッタンによる大気汚染警告が在セネガル日本大使館から出されている。 ここヌアクショットでもハルマッタンのひどい日に日中買い物に外出しただけでも喉の痛みなどが感じられる。こちらの女性のように、体も頭も鼻や口まで覆っていないとこの砂塵は避けようがない。こういったときに、こちらの人々の服装は実に理にかなっていることが分かる。まこの話は後日するとして。

そんなわけで最近は外出時に必ず頭部にかぶれるような布を一枚持ち歩くようにしている。

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自宅でメシュイ(Mechoui)

1月は北半球のモーリタニアも冬。アフリカ大陸といえど、朝の気温は10度台まで下がり、フリースの上着を着るくらいの体感気温になる。

今朝の気温は15度。日中は30度近くまで上がるので日本でいうと暖かい春先のような気候だ。家の庭ではレモンの花が咲いている。近くの八百屋さんでもオレンジやミカンがたくさん出され、イチゴも出るようになった。さてそんな中、先日は我が家に主人のオフィスの人たちを招いてパーティを開いた。こちらのパーティでごちそうといえば羊の丸焼き、メシュイ(Mechoui *1)。スタッフのデチエさんが陣頭指揮を執って、ご本人の出身地ダル・エル・バルカ(Dar El Barka*2) のメシュイが我が家の庭先で調理されることになった。

大きな麻袋に薪炭とお肉、両端が鋭く削られた長さ1メートルほどの串用枝木10本ほどを携えてメシュイ職人がやってきた。まずは調理場の支度から開始。この日は風が強く砂が吹きあがってきたので、周辺にたっぷり水を撒いて、1メートル四方に浅めの穴を掘った。

調理場の整備から調理開始まで。3-4時間かけてじっくり調理する

次は炭に火をつけて焼き場の準備をしながら、こぶし大の岩塩をすりつぶし、この塩をお肉にまんべんなく擦りこむ。あとはアカシアの串木をお肉に通して、準備万端。炭火が安定してきたら、串を火の周りにさしてモーリタニア式炉端焼きの始まり。完全にお肉に火が通るまで3-4時間かかる。この間職人さんは焼け具合を見ながらお肉を裏返してむらなく焼けるようにじっくりと調理に取り組んでいる。

お肉を串刺し中
炉端焼きの開始。
調理開始2時間後。。まだもう少しかかりそう

日も暮れて午後7時ごろになるとお祈りを済ませた人々がぼちぼち参集してきた。全員そろったのは午後8時も過ぎてから。1時間くらい遅れてくるのはよくあること。

調理開始4時間後。あとは食べるのを待つばかり

皆がサラダやクスクスを持ち寄って会食が始まった。クスクスは、パンやごはんの感覚に近く、通常メシュイにはクスクスが主食として食べられる。

この後音楽隊もやってきて、皆で楽しく食べて踊って夜が更けていった。大量に残ったお肉とクスクスは手伝ってくれたアミナタや守衛さんにももちろんおすそ分け。それでも大量にあったので、半分は冷凍、半分は1週間かけて私がお昼ごはんに食べることになったのであった。。。

*1 Mechoui: https://en.wikipedia.org/wiki/M%C3%A9choui

*2 Dar El Barka : http://trip-suggest.com/mauritania/brakna/dar-el-barka/